ポルトガル版はマスクをつけたまま男女のモデルがキスをする写真を使った。キャプションには「Freedom on Hold(自由は一時停止中)」と書かれていた。台湾版は「Future in Transit(未来に移行中)」とキャプションがつけられたCGIによるメタリックなイラストで、近未来的なバイクに乗るモデルと動物が白日夢のように描かれている。オランダ版には、それぞれ別に撮影された白い服を着た9人のモデルの顔が並べられ、「Alone, together (みんなで、ぼっち)」という文字が書かれている。極めつきはイタリア版で、「Vogue」というタイトル以外何も書かれていない、真白(ブランク)の表紙である。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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マスク姿の男女がキスする『VOGUE』ポルトガル版

 

 モデル、ヘアメイクやスタイリスト、カメラマンや編集者が密集して大がかりな表紙撮影をしなくとも、こんなにも時代を的確に表し、人の心を動かす表現が可能なのだ。

 これら表紙のイメージは、未来からコロナ禍時代を振り返る時、この時期のさなかにあった私たちの心や社会の状態を鮮烈に浮かび上がらせるアートとして、たびたび引用されることになるだろう。

 私たちは長い時間のスパンのなかの、あるいは広い社会のなかの、どの位置に立っているのか。ファッション誌が、それぞれの読者の立ち位置への理解を促すような視点を提供してくれるメディアであり続けていけば、これからも必要とされるだろう。ファッションとは社会的な存在としての人の装いであるという本質は、過去も未来も変わりそうにないからである。私たちは、自分が社会のどの立ち位置にいて、その感覚をどのように表現すればよいのか、ヒントを求めてファッション誌を開くのだ。

 広告主への忖度を減らし、各誌がその視点をオリジナルな表現で鮮明に打ち出すことにより、かえって雑誌そのものが強いブランドとなり、広告主からも読者からも信頼を受け、支援される未来はきっとあるはずだ。

 

「新しさ」の意味が変わる

 コロナ禍によりファッションブランドが開催するイベントがなくなった3か月間ほど、インスタグラマーやセレブリティが招かれ、巨額が投じられる狂騒のパーティー光景はSNSでは見られなくなった。代わりに人々は、ファッショニスタも含め、本の表紙やDVDのカバーをアップしたり、昔の写真や得意な料理の写真をアップしたりした。それによって、本来、自分は何を観て何を読んで何を経験して育ってきたのか、過去を掘り起こすことで、自身のオリジンに向き合い始めた。社交に忙しかった時代には表に出さなかった、コロナ禍で押し出された「新しい」自分を伝えようとした。

 新規の広告撮影ができないファッションブランドも、過去のPRキャンペーンフォトを続々、掘り起こしていった。ルイ・ヴィトン、ヴェルサーチェ、サンローラン、バーバリーなどが、アーカイブから広告写真を続々紹介していった。各ブランドの過去は、まったく古さを感じなかった。むしろ、豊饒な過去を現在の視点を通して見ることで、ブランドを多面的に知ることが、消費者にとっては「新しい」体験となった。

 ファッショニスタやファッションブランドが過去の発掘に夢中になっている様子を見ながら、コロナ禍のロックダウン期間に「新しさ」の意味が変わったことを実感した。時間軸において最新版として出てきたものが必ずしも「新しい」わけではなくなったのだ。コロナ前のように、たえず過去のものを捨てて「新作」が提示され続けるだけの状態は、持続可能でもなければ固執するほどの価値もなかったことに、私たちは気がついた。すでにあるもの、あったものを見直し、埋もれていた別の面を発掘していく過程のなかにも、「新しさ」と出会うことができる。しかも、後者の「新しさ」には、より豊かで持続可能な安心感をともなう喜びがある。

 WWDの報道によれば、グッチのアレッサンドロ・ミケーレが、コレクション回数を減らし、コレクションの呼称を「メヌエット」「ノクターン」「ラプソディ」などとするアイディアをオンライン・カンファレンスで示したという。この提案なども、コレクションの価値が時間軸に左右されず、別の意味合いでとらえられることになる未来の可能性を見せてくれる。

 ファッションメディアも例外ではない。最新の作品を紹介していくだけではなく、すでにあるもの、あったものに「新しい」意味を与えていくことで、持続性が求められる時代にふさわしい権威を帯び、新時代にふさわしい役割を果たしていけるのではないかと、半ば願望をこめて思う。