例えば、ということで、今度は、大西の対談相手、上坂真人が持ち出した例を挙げると、ポンピドゥセンター、MOMA、ヒューストン美術館、テート・モダンには日本人写真家の作品がたくさん収蔵されているし、ドイツ銀行やUBSも日本人写真家の作品をコレクションしている。2015年、サザビーズでは日本人写真家の作品販売展が開かれ、ニューヨークでは日本人写真の国際シンポジウムがあり、2016年、17年には三つの戦後日本人写真展が世界巡回しているそうだ。最近の日本の写真でセグメントしても、これだけあって、それらは日本には来ていない。PHOTO MIYOTAを開催するにあたって、参考にしたラ・ガシイというフランスの人口3900人の町では、町全体に写真を展示するイベントで4カ月で40万人が訪れるのだそうだけれど、この2016年の回では日本が特集され、盛況だったようだ。

 大西はバランスが悪い、と感じている。コンテンツはあるにもかかわらず、活かされていない。オリンピック・パラリンピックもイベントだけれど、芸術展も静かなイベントだ。しかも日本には、都市だけではなく、あるいは都市よりむしろ、地方にコンテンツが眠っている。これを活用すれば、まずは、インバウンド部分をもっと底上げできるのではないか。

 とはいえ、それだけでは、経済効果としては結局、小さい。大西が見ているのは、もっと大きな効果で、芸術の潜在能力だ。

 まず、日本企業はあまり芸術にお金を出さない、投資しない、という前提が語られる。大西が持ち込む芸術関係の企画でも、企業の反応は鈍く、出資額も大きくはない。

「広告デザインをアーティストがやる。あるいは企業名を大きく書いた看板のようなものを空港などに掲示するのではなく、企業がスポンサードしたアーティストの作品を飾る。ファッションでいえば、どのブランドの服か、ではなく、まず、どんな服かを見せるように」

 アートとお金を結ぶアイデアは、すでに実現しているもの、企画中のもの含め数々あるという。ただ、投資した額以上が返ってくるから、というメディア的な価値を芸術に求めることは、大西の頭の中では、やや小規模に思えているようだ。

「芸術にそういうリターンを期待してもしょうがないんじゃないか、と思う」と大西は言う。

「日本人は真面目で、フォーマットの中で答えを出すのは得意です。しかし、白紙にものをかくのが下手なのではないでしょうか。ビジネスマン、経営者にとって、直感、感性、美意識がない、という状態だとしたら、それでいいのでしょうか。それで経営判断ができるでしょうか。もしも、サイエンスだけで判断すればよいのであれば、結果は同質化しませんか。その企業しかできないこと、経営のデザイン、そういったものが問われる時代ではないでしょうか。そこにアートの理解、感性が要ると思います」

 上坂が挙げた例であれば、アメリカの高級紙には、アートというカテゴリがある。ビジネスマンが読む新聞や雑誌に、芸術の話が載っているは奇異なことではない。