高齢者と若者、それぞれが会話に求めるものとは。

(篠原 信:農業研究者)

 昔から私は大人の話を聞くのが大好きで、年をとっても自分より年長の人の話を聞きたがるほうだ。まだ私が若手の頃、もう2時間ほど年配の方の話を聞いていたときに、言われたことがある。「君みたいな若者は珍しい。普通、年寄りの話なんか聞きたがらないものだ。今の時代、若い人はお説教が大嫌いだからな」と。

 私は少し考えてから、こう答えた。「若い人は案外、お説教、好きですよ」。すると当然反論された。「そんなことはない。現に、私の話を長時間聞くのなんて、君くらいじゃないか」と。なるほど、それはそのとおり。

 だが、私の父のところには若い人たちがひっきりなしにやってきて、何時間にも及ぶ父の説教を聞きたがっている様子を見てきたから、「若い人はお説教が大好き」という確信は揺らがなかった。ただ、多くの年配者の方が固く信じるように、若い人は年配の方の長広舌を嫌がるのも事実。この違いは何なのだろう?

「話したい話」ではなく「聞きたい話」を

 やがて、私も学生を指導する立場となった。不思議なことに、若い人たちは私の話を聞きたがった。

 ファミレスに夜8時に入ってから数時間、もう夜中の2時。学生がトイレに立ったとき、「もう夜も遅いし、学生ももう話を聞きたくないだろう、よくもまあ、こんな時間までつきあってくれるなあ」と感心しながら、帰り支度を済ましておいたら、トイレの後にフリードリンクのコーナーに行き、お代わりのドリンクを持ってきてどっかりと座り、「さあ、さっきの話の続きを聞きましょうか」なんていうものだから、さらに話が続いて、夜中の3時、4時になることもあった。

 何で私の話をこんなに聞きたがるんだろう? なぜ、他の年配者の話を聞きたがらないのだろう? という疑問が湧いた。

 私の話が面白いから・・・という、単純な話ではない。実は、学生が私の話を聞きたがらなくなった時期がある。「私は違うと思います」と生意気なことを言う学生に対し、私は「こいつもずいぶんと生意気になったじゃないか」と、ムッとしたものだった。