元治元年(1864)2月、渋沢栄一は尊王志士から一橋家臣に、つまり農民から武士への身分上昇を遂げ、政務に励み始めた。渋沢を推挙した平岡円四郎は、渋沢の政治力に目を付けており、その能力を非常に高く評価していた。