本部棟の2階に隊長室があった。現在公開されているこの部屋は戦後に復旧されているため実際にこのような家具の配置だったのかは不明だ。七三一部隊の隊長として、1942年8月から1945年3月までは北野政次が務めた他は、設立者でもある石井四郎が務めた。このため「石井部隊」あるいは石井の出身地の名前を取って「加茂部隊」と呼ばれていた。石井は部隊を創設するにあたって、「医学研究において内地ではできないことがある」と語っていたが、その「内地ではできないこと」が細菌兵器の開発であり、実証するための生体実験であった。
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