文=松原孝臣 撮影=積紫乃
絶対に棄権しない
樋口美穂子は、宇野昌磨にはオリンピックだから特別である、オリンピックが最大の目標である、といった意識はなかったと言う。では何が宇野の練習へ向かうモチベーションだったのか。
「上手になりたい、これができるようになりたい、それを突き詰めている感じがありました。もう1つは、練習でやってきたことができたかできないかを大事にしていましたし、練習以上のことはできないと考えていました。だから練習はほんとうに一生懸命でした」
強く記憶されるのは、練習への真摯な取り組みだけではない。
「平昌オリンピックの年の世界選手権のとき、怪我したんですね。世界選手権の真最中のことです。私は棄権してもいいんじゃないかなって思いました。あのときは歩くこともできなかったので」
歩ければ試合に出る——それが宇野の1つのスタンスであるとするなら、それを超えていたことになる。
「でも絶対に棄権しないんですよね。フリーのとき何回転んだっけ。4回転んだかな」
ジャンプでの転倒が相次いでも粘り強い懸命の演技で銀メダル、表彰台に上がった。
棄権しなかった理由は、フリーを終えたキスアンドクライの会話にあった。
「あのとき、昌磨がこう言ったんです。『これで枠とれましたかね』。それを聞いて、『えっ』と思いました。考えていることはそれだったか、と驚きました。『とれたと思うよ。頑張ったね』と言葉を返したと思います」
世界選手権には、次のシーズンの世界選手権(あるいはオリンピック)の国別の出場枠がかかっている。出場している選手たちの成績次第で、最大の3枠にもなれば、枠が少なくなることもある。
この大会では急きょ出場することになった友野一希が5位と健闘し、宇野の2位と合わせて3枠を確保することができた。宇野がもし棄権していれば、日本の3枠確保はならなかった。宇野の責任感を象徴していた。