深みが生まれた演技

「前はもっとがむしゃらなところもあったけれど、演技力に深みが出てきたな、と思っていました。すごく上手な選手もいます。でも、年齢的なものもあるのかな、比べてみると、昌磨の演技には深みがありました」

 葛藤を抱えつつ過ごしていた中でも進化を続けていたことを物語っていた。それこそ宇野の真骨頂であることを樋口の次の言葉が示していた。

「ふつうだったら、葛藤を抱えていればもやもやした感じになってしまうかもしれません。でも、遠い先のことを考えたりしないで、今、このときを精一杯頑張るタイプだから、演技力の深みも生まれたのかもしれません。今を精一杯頑張る姿勢は、教えていた頃と変わらないですね」

 懸命に自身のスケートと向き合い続け、理想を追い求め、迎えたのが最後の大会となった世界選手権だった。

「もちろん、テレビで観ていました。ショートプログラムは素晴らしかったですね。 フリーはかみあっていない感じはしました。あの子は自己分析に長けているから、自分の中でも分かっていたと思います。その中でも、いつもそうですけどできる限りやる、 最後まであきらめない、 そういう姿勢が伝わってきました」

 そののち、引退が発表されたとき、惜しむ声も相次いだ。最後となったシーズンでも深まっていく演技を見れば、そうした声が出るのも自然ではあった。

 2026年にミラノ・コルティナオリンピックが控えている中での引退であることを踏まえ、惜しむ人もいた。

 ただ、樋口は言う。

「昌磨にオリンピックへのこだわりはなかったですね」

 そして2018年の平昌オリンピックの話をした。宇野にとって初めてのオリンピックであり、銀メダルを獲得した大会だ。

「メダルが決まったとき、私はすごい喜んでいたんですね。でも彼はそうでもないんですよ。キスクラで足をぶらぶらさせていて。本人的には、すごいいい出来だったわけじゃない、でも先生が喜んでいるからいいか、みたいな感じでしたね。オリンピックだからどう、とか、強い思いはなかったと思います。オリンピックだからというこだわりはないけれど、人のため、というか、私が喜んでいることに満足しているような感じでした」

2018年平昌オリンピックで銀メダルを獲得した宇野昌磨と樋口美穂子コーチ 写真:ロイター/アフロ

 さらにこう続ける。

「今回の引退にしても、あと2年経てばオリンピックであっても、それに関係なく、自分で考え、区切りとしたということですね」

 長年、宇野を指導し考え方や姿勢を知り、ここ数年の葛藤をも感じ取ってきた樋口だから、引退という決断も自然に受け入れられたのだろう。

 樋口は宇野の指導にあたっていたグランプリ東海クラブから2022年に独立。新たなクラブを立ち上げ、指導の日々を送っている。その中にも宇野との時間は生きていると言う。(続く)

 

樋口美穂子(ひぐちみほこ) 山田満知子コーチのもとでフィギュアスケーターとして活躍し1981年の全日本ジュニア選手権2位、全日本選手権出場などの成績を残す。二十歳で引退し、山田のもとでコーチとなる。2022年世界選手権で優勝しオリンピックでも2大会連続メダルを獲得した宇野昌磨をはじめ数々の選手を育てた。2022年3月、「LYSフィギュアスケートクラブ」を創設、指導にあたっている。振り付けも数多く手がけている。