終戦記念日
この30年ほどアメリカでV-J Day (日本でいう終戦記念日)を迎えている。そのたびに私自身が何か心の中にあるものに対峙せず、滓のようなものがたまっていくのを放置したままになっていた。
以前仕事で数年過ごしたパプアニューギニアでも、太平洋戦争の最も激戦のひとつであったニューギニア戦線のジャングルの中に残したものが、驚くほど身近にあった。日本から遠く離れた地に残された骸や戦争の遺物と対面した時に、私自身、悲しみや怒り憤りなどと共に、もやもやとした感情が沸き起こっていた。にもかかわらず、蓋をしていたような気がする。(今も日本政府による遺骨収集はされているし、当時日本大使館ではご遺骨を政府の収集団が来るまで大切に保管されていた。)
私はもとより歴史学者でもなく外交評論家でもない。戦争論を論じる気もない。しかし、世界は昔に比べあまりに多く起こる戦争に倦んだのか、戦争に対しての感覚が鈍化してしまった。そして、その戦争自体が以前と比べ大きく変化しているような気がする。
映画『オッペンハイマー』
夏の映画で『バービー』と『オッペンハイマー』が全米で大ヒットとなり、この2本の映画のタイトルを合わせて“バーベンハイマー”という造語まで生まれ、メディアは大きく取り上げている。
『オッペンハイマー』は、原爆開発に指導的立場にあったオッペンハイマー博士の生涯の話であるけれど、残念ながら原爆を投下した広島や長崎の悲惨な記録は取り上げられていない。アメリカ人は、スーパーマンやワンダーウーマンのような勧善懲悪のストーリーが大好きである。ある意味何かを“悪”とすると、がぜん国民はその悪に向かって結束し立ち向かう習性があるようだ。
人の作り上げる悪は、事実悪かどうかを検証するすべはない。正義もしかりである。敵国イコール悪という考えのもとに、戦争に勝つためにはありとあらゆる手段を使うといった考えは、戦争がすべてを破壊しつくさないよう政治によって制御される、という考えを、人類自らの手で打ち砕いてしまったような気がする。そんな背景の中で原爆を開発したキーマンを通して描いた映画である。
この内容では、日本での上映は難しいだろう。映画という芸術作品と割り切ってみるほど、広島や長崎の惨事の記憶をミュートにして観ることができなくても当然の気がする。
薄れゆく原爆による被害の記憶
アメリカにとっては対日戦勝記念日の8月も、長崎や広島のことも、一部の政治舞台を除いて話題に出ることはない。この国の人々は過去の記録とあっさりと片付けている気がする。いや、それともアメリカは第二次大戦後も数多くの戦争にかかわっているため、戦争への恐怖というものが、一部の人達を除いてマヒしてしまっているのかもしれない。
その昔アメリカでも、ヴェトナム戦争に突入した際に、学生たちを中心に兵役拒否、反戦運動が大きなうねりになった時期もあった。だが今、人々の関心は人種差別を含む様々な人権問題にシフトしている。それはそれでよいことなのだが、戦争のことが語られる機会が陰り、残念である。
原爆投下したアメリカもまた、現在、終わりの見えない戦争にかかわることとなった。核攻撃も口にする為政者がこの世界に実際にいることは、戦争の愚かさや核の恐ろしさをまだ過去から学んでいないといえる。
被爆体験でいえば、広島、長崎の原爆投下以外に核実験で犠牲になった日本人がいる。しかし、その事実は大きく報道されることもなく、歴史から忘れ去られようとしている。
一時は大きく取り上げられた、1954年にアメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験である。第五福竜丸という名前を思い出す方もいらっしゃると思う。
実際は、第五福竜丸以外にも多くの日本の船が同じ海で操業していたことは語られていない。それどころか、今は話されることなく忘れられている。そういったメディアにも取り上げられない悲惨な事実を、日本だけでなくアメリカでも短編映画として作り上げ、試写会などを通して核兵器の悲惨さや恐ろしさを広く知ってもらうべく、忍耐強く取り組んでいる人が日本にいることを我々は知る必要があると思う。
戦争の記録と人間のSelective Amnesia
米ソのデタントが崩壊して久しい。今の世界は軍備、特に核による平和の維持が主流と考えるかもしれない。あれほど過去に核に対して反対の態度を示していた北欧の国でさえ、ロシアのウクライナ侵略の影響でNATO加盟を申請した。
日本は広島や長崎のむごたらしい核による殺戮の経験を、もっと積極的に生かせないものか。勿論、いま日本を訪れる外国人のかなりの数が広島や長崎の原爆資料館に立ち寄っていることは歓迎すべきだし、日本の美しさや優れた文化遺産を訪れることは素晴らしいことではある。しかし、日本にある戦争の遺構を訪ね、歴史を学ぶある種の戦争遺産ツーリズムもあってしかるべきだと思う。
日本の歴史を見ると、明治期に入ってから外国との戦争の数が増えている。そして、第二次大戦以前の日清・日露戦争では、武勇伝や軍神とされる人たちの話や軍歌が今も語り継がれている。しかし二百三高地の壮絶な戦いや肉弾三勇士、白骨街道といわれたビルマ戦線やニューギニア戦線、沖縄戦、数多くの満州やシベリアでの出来事などなど、残酷な戦いを強いられた記録は自然に消え去るもの、となる危機感はないのだろうか。
人の記憶というのは自分の都合のいいものだけを残して、見聞きしたくない、あるいは思い出したくないものをディリートする特性を持っているものなのか。目を覆いたくなる残酷な、そして、悔いの残る恥じるべき史実もしっかり後世に伝えていくべきである。
民主主義が弱ると専制主義が頭をもたげる
昔ニューギニアでマグロを釣るべく友人の船に乗ったのだが、マグロの群れの後ろには必ずサメが追尾していた。群れから遅れたマグロを獲物にするためである。アフリカの動物の群れでも、必ず弱って群れから遅れたものがライオンなどの餌食になる。今の民主主義を見ていると、この光景とオーバーラップしてならない。
アメリカの民主主義が脆弱性を示している現在、その背後から死神のように権威主義が忍び寄っている。強いアメリカの唱える民主主義は、その軍事力と経済力に支えられ、ある時期パックスアメリカーナと呼ばれ世界で台頭した時期がある。
第二次大戦後の日本も、アメリカが持ってきた民主主義からスタートした。またソヴィエト連邦が崩壊した時期はアメリカ一極主義といわれた。しかしアメリカ一極主義は跡形もなく過去のものとなり、そんな中で強いアメリカの復活を狂信的に望み、今までにない狡猾で激しい人種差別の集団が表に出始めている。
先の大統領選挙で不正があったという論議がいまだにこの国の政治に影響を及ぼし、できるだけ自分の支持する政党に有利に、投票方法などを変えようとする州まで出てきている。このような国内状況を見て、それでも民主主義の旗手であると言い続けるアメリカを世界のどれくらいの国が信じているであろうか。少なくとも1970年代に私が希望膨らましてきたアメリカは、残念ながら過去のものとなりつつあるように感じる。
過去の栄光を夢見て強国をめざす
またアメリカと対峙してきた大国は、ここぞとばかりに平和というものから離れてしまっている。実は国内よりも国際社会が、法の支配しない”ワイルド・ウェスト“という感じがしてならない。
この世界には、戦争を禁止した国際的合意も取り決めもない。国連憲章でさえ、戦争を”禁止”していないのである。安保理決議違反に対して、実際は何の手も打てないのが悲しい現実である。今回ウクライナに侵攻した指導者はその国連憲章の盲点を巧みについて、その侵略行動を先制的自衛行動と真顔で話す。国際連合が、そもそも第二次大戦の戦勝国を中心に作られた滓のようなもの。そう見るのは私だけだろうか。
さらにいくつもの国でアメリカやロシア、そして中国に対抗する新たなうねりを作り第4、第5極ができつつある。軍事力とそれに後押しされる経済力を含めた”強さ”を前面に押し出して巧みな外交を行い、まさしく世界は戦国時代に入ったと感じる。
過去の帝国の栄光の復活を夢見る何人かの指導者の主観的願望を、SNSなどを巧みに操って国の政策にすり替え、軍備を増強し、それを後ろ盾に国益優先の外交政策で自国に有利な経済ブロックを作ろうと躍起になっている。そんな中で核戦争のボタンを押す人間が現れないという保証はどこにもない。
歴史的事実と教訓の正しい継承
日本はどうだろう。そもそも国家と国民は同等である。しかし、実際に見てみると国民一人ひとりがその自立と権利を自覚して、国家や政府としっかり向き合っているかというといささか疑問を感じる。過激な表現を使えば、国民といえども臣民と同じ感覚。つまり、国は優秀であり、我々がとやかく声を上げるまでもなく、国民のために黙っていてもなんとかしてくれると考えてはいないだろうか。
しかし明るい話題もある。以前に比べたら市民レベルでの活動が増えてきたことである。また、日々刻々と報道されインターネットに書き込まれるウクライナの状況によって、日本の若者も戦争というものを意識することになったのは喜ばしい。
昔ノンポリという言葉がはやったが、まだまだ日本にはノンポリの数が多いのかもしれない。それとも、何を言ってもその声を国は拾ってくれないという厭世観からの諦めなのか。
アンケートでよく戦争反対の意見が多いとか少ないとかという数字が出る。私はアンケートの手法の素人であるが、実際アンケートに応えたくもない、あるいは関心のない人たちの現実の気持ちはどうであるのか、とひねくれた気持ちが起きてしまう。
過去をしっかり分析して学び、それを後世に伝えていかなければ歴史的教訓は正しく継承できない。戦争が始まってからでは戦争反対を唱えることも難しい。
現在、悲しくも自国が侵略され蹂躙されたウクライナの人たちは誰も戦を好まない。でも自国がそのような状況に置かれ、身内や友人が傷つき、あるいは死ぬのを目の当たりにして、本来は平和を愛する人たちが国のため家族のために銃をとり、戦場に向かっている。彼らを責められようか。
日本にもウクライナから戦火を逃れてきた人たちが相当数いると聞く。そんな人たちに、もっと積極的にいろんな体験や思いを聞く機会が多く作られることを願ってやまない。
新戦争論?
1832年刊行のクラウゼヴィッツの戦争論で、戦争の本質は暴力の行使であるとしている。そして、その中で政治の延長に戦争がある、とある。これにより政治が無限に拡大しようとする戦争を抑止するという。
私のような素人の目には今の戦争はいったん起こってしまったら、それを抑制する政治の力がどれほどあるのか不安に映る。昔、軍備なき外交はありえない、と日本の政治家が発言して世間を騒がせた。しかし、今の世界はまさしくこの図式となっているように見える。
第二次大戦後、国際連合は作られたが、皮肉なことにそれからも多くの戦争や内紛で数えきれない人が命を失い、血を流した。戦争はなくなるどころか増え続け、進化し続ける戦争はドローンなど自分が自分の手で敵の命を奪い、血を流して倒れる場面を体感せずに画面上で処理できる。戦闘行動で人を殺すことを感情的に受け止めることはこれからますます少なくなるのではないか。
国際条約や取り決めのさらなる交渉や進展は必要である。しかし、これらにどこまで法的拘束力があるのか疑問である。そんな中で一つ我々一人ひとりができることは、戦争の悲惨さと正しい史実をしっかり認識し、それをこれからも過去に伝えることを忘れず、一人ひとりが自分の考えを声に出して、大きなうねりとすることである。
1955年、アメリカでPeter Seegerが歌ってリリースされた「Where have all the flowers gone」というフォークソングがある。日本でもピーター・ポール&マリーというグループが歌って有名になったのを記憶されている方も多いと思う。
私は、この歌詞の中の“Oh, when will they ever learn?” という一節が、68年経った今、心に重くのしかかっている。