波乱万丈の人生

 そんなふうに両大戦間の文化と深く関わったローランサンであったことは今回の展示で初めて知ったのだが、マリー・ローランサン美術館館長である吉澤公寿氏が語るエピソードによって、その生涯のさらなる詳細も知ることになり、彼女を見る目が変わった。

 ローランサンといえばスモーキーなパステルカラーが印象的なのだが、彼女の人生はむしろ極彩色であったのだ。ローランサンは、両親が不倫の恋をした暁に生まれた私生児であった。お針子として働いていた母のまわりにあった美しい布や糸によって美意識を育んだ。

マリー・ローランサン《羽根飾りの帽子の女、あるいはティリア、あるいはタニア》 1924年 油彩/キャンヴァス マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

 画家になることを志し、ジョルジュ・ブラックらと共に学び、モンマルトルに出入りしているうちにパブロ・ピカソにも出会い、新しい美術運動に唯一の女性として参画する。言われてみれば、ローランサンの絵はブラックやピカソの影響を多分に受けていることがわかる。

マリー・ローランサン《ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン》1922年 油彩/キャンヴァス マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

 詩人のアポリネールと恋に落ちるが、母に反対され別離を選ぶ。アポリネールは作品「ミラボー橋」にその別離を刻む。男爵夫人の称号に惹かれ、ドイツの男爵と結婚し、スペインに行くがアポリネールの死を知り鬱になり、離婚してパリに戻る。その後、仕事に没頭して売れっ子画家となり、1920年代の象徴ともてはやされ、成功した画家として1956年に亡くなる。

マリー・ローランサン 《鳩と花》 1935年頃 油彩/キャンヴァス(タペストリーの下絵) マリー・ローランサン美術館 © Musée Marie Laurencin

 これだけのエピソードだけでも、いかにローランサンが大胆で情熱的な女性であったのかが伺われる。シャネルを「田舎娘」呼ばわりする彼女なりの自信と矜持を感じて、複雑な感慨がこみあげてくる。

 そんな人間味も含め、時代の広い文脈のなかにローランサンの絵を置き、新たな視点でその魅力を再発見できる展覧会は、桜のシーズンが終わる4月9日まで。Bunkamuraザ・ミュージアムはこの後、長期休館に入る(休館中は渋谷ヒカリエを中心に、様々な会場で展覧会を開催)。

 休館前にBunkamuraらしいアート&ファッションをテーマにした小粋な展示で有終の美を飾ってくれたことに、心から感謝したい。