街のはずれのタコごはん
25年、いや30年だったかな、もうずっと出し続けてる、うちのタコごはんは人気だから。そういって、痩せた店員は忙しそうに次の皿を運んでいった。
中心部のはずれに、一軒の食堂がある。カルドソ通りの「ノヴァ・エラ」。タコごはんの名店だ。
タコごはんは、この街を訪れたら必ず食すべきひと皿である。
ポルトを代表する食べものといえば、フランセジーニャという民衆のソウルフードがある。きつね色のトーストに肉やハムを不謹慎に挟みこみ、成人の1日推奨摂取量の倍はあるだろうチーズをかけた、強欲な商人が愛しそうな一品だ。
365日分のレシピを持つといわれるタラ料理は魅力的で、旬のイワシの味も南欧一だ。それでもポルトを訪れると、なぜか吸い寄せられるように、まずはタコごはんの店へ向かう。
目前の大西洋で揚がったタコの旨味と滋養が染み込んだ炊き込みごはんの上に、揚げたてのぶ厚いタコの天ぷらがのっている。ポルトガル料理なのになぜか懐かしさすら感じさせる、タコ天定食である。
この品を出す店は減りつつある。悲報が届いたのは一年半前のことだった。72年の歴史を持つタコごはんの名店、カンパーニャ駅近くの「カーサ・アレイショ」の閉店だ。地元紙コレイオ・ダ・マーニャはこう報じた。
あの伝統の名店も、コロナを乗り越えることはできなかった
同じく名店だった「カーサ・イネス」も閉店している。本当に旨いタコごはんを食べられる店はそう多くはない。
店は地元民で埋まっていた。テーブルの真っ白なシートの上に並べられた皿から、ゆらゆらと湯気が舞う。頭上のテレビは民放の午後のニュースを流している。
白髪の女性が貴婦人の作法でタラのじゃがいも炒めを食べている。隣では中年男が鴨の炊き込みご飯(地中海オレンジの香りを添えて)をほおばる。ふっくらとした鴨肉は見事な鼈甲色で、筋繊維がしっかりと見える。柔らかに炊きあげられたあかしだ。
「いつもこんな感じね」
隣に座った婦人は言った。広くはない店内で、客と客の距離はとても近い。
「昔からここにあるお店だし、ほら、おいしいでしょう。値段も悪くない。だからこの時間は近所の人でいっぱい。支払いの時に並ぶのは、まあ仕方ないわね」
お腹がいっぱいになった人たちは満足そうな表情をうかべてレジの前に並び、なにやら話しこんでいる。誰も急いではいない。
隣の厨房では、よく磨かれた銀色の小鍋が火にかけられていた。数分後、コリアンダーの香り漂う海鮮雑炊はテーブルへと運ばれていくだろう。
ポルトの昼どき、いつもの風景がカルドソ通りの食堂に流れていた。
栗売りの白煙が街をつつむ
秋の街角で、ふいに白い煙に包まれることがある。
ゆらりもくもくと、生きものみたいに姿かたちを変える煙の出どころには、使い古された栗売りの屋台がある。
北風が吹き始めるころ、どこからともなく栗売りはやってくる。地下鉄の出口や市場の片隅で、鉄板の上に並べられた栗の厚皮の切れ目から、甘い黄色がのぞいている。
ひとつください。2ユーロを渡すと、栗売りは小さな紙袋いっぱいにつめこんでくれた。ポルトガル独特の、塩分で表皮が白みがかった焼き栗はしょっぱくて、ほんのりと甘い。
温かい紙袋を手に大聖堂の坂をのぼると、橙色の瓦が並ぶ街が見渡せた。
窓枠のひとつに、色褪せたポルトガル国旗がかかっている。どこからかあがった白い煙が、群青色のタイルが張られた建物の壁面をゆっくりと上っていく。
やがて季節が変わり、暖かくなってくると、栗売りの姿は見なくなる。夏の間、彼らは何をしているのだろう。
そんなことを考えながら、またひとつ、どこかへと続く小径に足を踏み入れた。