薩摩切子の魅力を引き出す

 さて、その試行錯誤を重ねた「grad.(グラッド)」はどのような苦労があったのかの説明をする前にまず薩摩切子とはどういったものか、また江戸切子や他のカットガラスとの違いや関係性のお話をしておかなければなりません。

 薩摩切子は前述したように幕末の頃、海外のガラス製造技術をもとに江戸のガラス職人を招くなどして、薩摩藩でつくられ、藩の集成館事業の一環として推進され発展しましたが、この事業に力を入れていた島津斉彬の死後、事業の縮小やイギリス艦艇による集成館砲撃などにより被害を受け、明治初頭には途絶えてしまいました。しかしその技術は江戸切子や大阪へ引き継がれていきます。

 1985年、島津家の島津興業のガラス工芸会社、島津薩摩切子を立ち上げ、そこで江戸切子や各地のガラス専門家や職人の協力のもと、復刻を果たし現在に至ります。

 薩摩切子の特徴ですが、クリスタルガラスという、鉛や鉱物を多く含有したガラスを使用し、淡く発色させたガラスを何層にも重ねる、色被せという技法により成形され、そこにカットを施して作られます。色被せの工程で、厚く被せそこにカットを施すことにより生まれる、ぼかしやグラデーションが江戸切子や他のカットガラスにはない薩摩切子の魅力となっています。

 辰野しずかさんが初めて薩摩びーどろ工芸を訪れた時、カット面のぼかしやグラデーションの美しさに魅了されたのだそうです。その時同時に、シンプルにこの魅力をもっと引き出した商品があっても良いのではないかと思い企画が進められていきます。また、どちらかというと切子は高級な酒器としての用途が多く見られる傾向にありますが、より広い用途とスタイルを目指したアイテム展開も必要なのではとの考えも加えられ、デザインの輪郭が浮かび上がってきました。

光が射すとカット部の濃淡が際立ち、水を入れると美しく揺らぎ、奥行きのある幻想的な世界が広がります

 しかしシンプルだからといって簡単ではありません、むしろ高い技術と熟練の技が、シンプルだからこそかなり求められ、薩摩びーどろ工芸と辰野しずかさんの試行錯誤は始まります。

 

高い技術が詰まったシンプルなグラス

 クリスタルガラスは通常のガラスと違い、鉛や鉱物の含有量を高めることで、屈折率と透明度が高まりクリスタルのような輝きを見せることからこの名前がつけられています。また含有量が多いことでカットしやすい柔らかさが生地に生まれ、様々な意匠を施すことが可能となります。

「grad.(グラッド)」はグラデーションを美しく見せるため、シンプルなカットでありながらその深さと角度にこだわっています。しかし柔らかなクリスタルガラスはあまり力がかかりすぎると割れてしまう危険性が高まるのです。厚みを持たせれば耐えられるのですが、それでは花瓶のような厚いグラスになってしまい、実用性にかけてしまいます。また、生地は吹きガラスという技法で作るのですが、縦長のクリスタル生地を均一な厚みで作り上げるのも高い技術が必要になります。ここで不揃いになると、切子師が美しいカットを施せなくなるからです。

吹きガラスという成形技法により、ひとつひとつ職人の手で作られています

 一見シンプルなデザインの「grad.(グラッド)」には薩摩切子の匠達が持つ最高の技術が詰まっていると言えるのです。