世界トップと名高いビスポークシューメーカー、川口昭司さんを訪ねる。
文・写真=山下英介
世界一の靴職人は東京にいる
「この人がつくる靴はダントツで世界一だよ」。
世界中の紳士靴に精通した友人からそんな話を聞かされて、江戸川橋にあった川口昭司さんのアトリエ「Marquess(マーキス)」を訪ねたのは、もう7〜8年くらい前だろうか。一軒家を改装した小さなアトリエでお会いした彼は、とても腰の低い好人物で、「世界一の靴職人」というイメージからはあまりにも乖離していたため、かえって強烈な印象を受けたのを覚えている。そして彼がつくった靴は、確かに今まで僕が見てきたビスポークシューズの中でも「ダントツ」に美しいものであった。
靴の美しさやクオリティの高さにも人それぞれの価値観があって、どれが正解とは言いにくい。しかし男たちの装いが史上最も美しかったと言われる、「1930年代の英国」をひとつの基準に置いたとき、この時代の紳士靴に最も匹敵する存在は、間違いなく彼の靴だ。今でこそ英国靴は無骨で質実剛健と表現されることが多いが、この時代の英国靴は工芸品と称せられるほどに繊細かつエレガント。「マーキス」の靴は、それらと並んでも全く引けを取らないのである。
「マーキス」の靴から伺える民藝の思想
驚くほどピッチの細かい縫製や、丁寧な木型への吊り込み、表情豊かなトウシェイプなど、技術的なすごさはいくらでも挙げられそうだが、単に上質というだけでは彼の靴は語れない。作家性などに目もくれず、真正直な手仕事にこだわる彼の靴には、不思議と世界各国に遺された民藝品を彷彿させる温もりが宿っている。だからなのか、彼のアトリエやその靴を見ていると、日本民藝館やヴィクトリア&アルバートミュージアムを訪れているような暖かく、それでいて厳粛な気分になってくるのだ。
だとすると、日本人ながら誰よりも英国靴にこだわる彼の存在は、民藝の世界に例えるならば日本の陶芸に強く影響を受け、英国で日用品としての陶器を広めた陶芸家、バーナード・リーチのようなものかもしれない。そういえば、彼の盟友だった日本民藝界の父、柳宗悦は「手仕事は心の仕事」と表現したが、川口さんの手仕事と心はどのように育まれたのだろう?
英文学科卒の靴職人!?
「もともと大学の英文学科に通っていたのですが、イギリスに興味がすごくあって。ただ英語を話せるだけじゃなくて、手に職をつけたいという思いもあって、もともと好きだった靴の勉強も併せてすることにしたんです」
はじめは大学生特有の、ある種モラトリアム的な思いもあったのかもしれない。しかしイギリスの公立職業訓練校「トレシャム」で靴づくりの基礎を学んだのち、彼は正式に師匠につくことになる。その名はポール・ウィルソン。イギリス北部のニューカッスルという街に住まい、パリの「ジョン・ロブ」や「ジョージ・クレバリー」のアウトワーカー(外注職人)として活動していた彼のもとで、川口さんは修行期間を経験することになる。
「こちらは靴の歴史なんて浅い日本人の若造。本気だと思わせるまでに時間がかかりましたが、厳しく、優しく教えてもらいました。彼に教えてもらったスタイルが僕のベースになっていますね」
いわゆるビスポークの世界は、自社のアトリエだけではこなしきれない仕事は、フリーの職人に外注するシステムになっているのだが、川口さんもそのひとりであり、ウィルソン氏に師事しながらも既にフリーで仕事を請け負っていたという。その出来栄えを師匠に見てもらったり、師匠の仕事を手伝ったり、というちょっとユニークに思える師弟関係は3年半ほど続いた。