コロナ禍による苦境をバネに飛躍
藤井は愛知県瀬戸市の出身。新棋聖が誕生した当日の夜、地元の商店街に多くの市民が集まって喜びの声をあげ、直径1mのくす玉が割られた。ちなみに、愛知県在住の棋士のタイトル獲得は藤井が初めてである。
藤井は2016年10月、最年少記録の14歳2ヵ月で四段に昇段してプロ棋士になった。現在はタレント活動をしていて「ひふみん」の愛称で知られる加藤一二三・九段(80)の14歳6ヵ月の記録を、62年ぶりに塗り替えた。同年12月のデビュー戦では、その加藤九段と対局して初勝利を挙げた。それ以降も勝ち続け、2017年6月にデビューから負けなしで29連勝という前人未到の新記録を達成した。その後も快進撃をしていて、いろいろな記録を作っている。
そんな藤井に対して、タイトル戦への挑戦が早くから期待されていた。昨年11月の王将戦リーグの最終戦では、広瀬章人八段(33)に勝てば、渡辺王将への挑戦者になった。しかし、終盤の土壇場で悪手を指して逆転負けを喫した。
さすがの藤井も落胆したようだ。その後、師匠の杉本昌隆八段(51)に「手が見えない」と、珍しく弱音を吐くこともあったという。自身の棋士人生で初めて壁にぶち当たった。
今年の4月上旬、コロナ禍によって政府から「緊急事態宣言」が発令された。日本将棋連盟はそれを受け、感染防止のために100km以上の移動をともなう棋士の対局を延期した。愛知県在住の藤井は、東京・大阪のどちらの将棋会館にも行けず、4月中旬から5月下旬まで自宅で待機する事態となった。
しかしそれが藤井にとって、自分の将棋を根本から見つめ直す充電期間となった。高性能の将棋ソフトに徹底的に解析させ、苦手にしていた序盤作戦の克服に努めた。6月上旬に対局が再開されると、連勝して棋聖戦と王位戦で挑戦者となり、二冠のタイトルを獲得した。「災いを転じて福となす」という格言がある。藤井は王将戦の逆転負けやコロナ禍によって苦境に立たされたが、それをバネにして飛躍したのだ。
タイトル戦に登場したプロは約4分の1
私たちプロ棋士が所属する公益社団法人・日本将棋連盟は、棋士が対局した棋譜を主に新聞社に提供し、紙面に掲載された対価として年間単位で契約金を得ている。それが将棋連盟の主要財源になっており、囲碁団体の日本棋院も同じビジネスモデルである。
プロ棋士が出場する現在の公式戦は15棋戦(女流棋士が出場する棋戦は除く)。そのうち契約金が多い8棋戦(竜王戦・名人戦・叡王戦・王位戦・王座戦・棋王戦・王将戦・棋聖戦)が「タイトル戦」である。競馬に例えると、日本ダービー・天皇賞・有馬記念などのG1レースに当たる。
なお、メディアがよく使う「8大タイトル」の文言は誤りで、「8タイトル」が正しい。中でも契約金が突出している竜王戦(読売新聞社が主催)と名人戦(毎日新聞社と朝日新聞社が共催)が「2大タイトル」である。ちなみに、公表されている竜王戦の優勝賞金は4400万円(ほかのタイトル戦は非公表)。
現役のプロ棋士の人数は、今年10月の時点で172人。そのうちタイトル経験者は30人、挑戦経験者は11人。タイトル戦に登場したことがある棋士は合計41人で、全体の約4分の1である。
私は現役の七段時代の1990年、棋王戦で挑戦者決定戦に勝ち進んだが、タイトル獲得が80期(歴代2位)の大山康晴十五世名人(92年に69歳で死去)に敗れた。一流棋士の証といわれるタイトル戦への登場は、残念ながら叶わなかった。
タイトル獲得の最多記録は、羽生善治九段(50)の通算99期。今期の竜王戦で大台の100期を目指して豊島竜王に挑戦している。
次回は、藤井聡太の生い立ちと素顔にせまる。