文=松原孝臣 写真=積紫乃

シーズン中は競技で、オフはアイスショーで賑わうフィギュアスケート。特に日本人の心を掴むスポーツは、華やかさの裏で、実に多くのプロフェッショナルたちに支えられています。衣装デザイン、スケート靴やエッジの管理、舞台照明やMCなど、スポーツライターの松原孝臣さんが彼らの技術と熱意を伝える連載。ご期待ください。

競技を形作る重要な要素

 フィギュアスケートを形作るひとつに、衣装がある。いや、形作るひとつと言ったら過少に過ぎるかもしれない。以前、ジャッジのひとりは言った。

「見映えも点数に影響することを否定はできません」

 だとすれば、衣装はフィギュアスケートという競技において、重要な要素となる。採点にかかわらずとも、少なくとも、観る人の心に残る、大きな側面を持つ。だから、選手はそれぞれに衣装にこだわりを持つ。

 フィギュアスケートにおいて重要な要素である衣装のデザイナーとして、目覚ましい活躍を続ける人がいる。伊藤聡美である。

 伊藤の手がけた衣装を目にするのは、フィギュアスケートファンには普通のことだが、例えば2018年の平昌オリンピックで金メダルを獲得した羽生結弦のフリー「SEIMEI」、銀メダルを獲得した宇野昌磨のフリー「トゥーランドット」など、その名は知らなくとも、目にした人は多いだろう。世界大会で活躍する選手も含め日本の数多くのスケーターから依頼を受けるのみならず、海外のスケーターのデザイン・製作も手掛けている。

 

「だったらひとりでやってやる」

 今日までの歩みを振り返りたい。 高校時代、デザイナーの道を志し、服飾の専門学校エスモードに進んだ。その後、イギリスに留学。その経歴からは着々とデザイナーの道を歩んでいたように見受けられる。でも、そうではなかった。

「イギリス生活が終わったあと、ほんとうはイギリスかパリでインターンの仕事がしたかったんですね。でもそれがかなわず、どうしようと悩んでいました」

 そのとき、浮かんだのはフィギュアスケートだった。もともと好きで、観に行ったりもしていた。ただ趣味の範囲にあったため、衣装をデザインしたいと考えることはなかった。進路に悩んだとき、動画を見ていてある思いに達した。それは浅田真央の動画だった。

「悩んでいるときに浅田真央さんの動画を観ていて、こんなに好きなら彼女の衣装のデザインをしたいと思いました」

 当時はまだフィギュアスケートの衣装デザインの認知は高くなかったため、手がける人もごく少数に限られていた。

 辛うじてそれに近似する仕事のできるメーカーに就職。ただ、道は簡単に開けなかった。フィギュアスケートの衣装を手がけたいと思っても、簡単に理解は得られなかった。

 フィギュアスケートの衣装は、一点もの。一着作るのにそれなりに費用はかかるとは言っても、量産できる商品と比べれば、会社としての利益はどうしても大きくはない。それが消極的だった背景にあるだろう。

「だったらひとりでやってやる、と思いました」

 スケートリンクに通いながら、方々の選手に「作品を見てほしい」とコンタクトを図った。その熱がひとつの形となって成就したのは2013年だった。

 

「こんなことってあるんだ」

 それはトップスケーターのひとり、今井遥であった。今井を指導していたコーチにアポイントが取れ、デザイン画と衣装を手にアイスショーの会場を訪ねた。客席で話していると、「これ、借りるね」とコーチは衣装を持って去った。戻ってくると言った。

「今日、着るから」

 その夜、今井は伊藤の衣装で「無言歌集」を滑ったのだ。

「こんなことってあるんだ!と感動しました」

 今井からはそのシーズンのショート、フリーの依頼も受けることになった。

2013年全日本フィギィアスケート選手権での今井遥。伊藤の衣装でフリー「恋人達の夢」を演じる。写真/アフロ

 今井の衣装へのフィギュアスケート界からの反響は大きく、伊藤は依頼を多く受けるに至った。国内のみならず海外のスケーターも手掛け、数々のトップスケーターからの依頼も舞い込んだ。羽生の衣装をはじめ、そのデザインは反響を呼んだ。

「(フィギュアスケートは)伸縮素材なので、ふつうのお洋服、学校で習ってきた基礎的なものとはまったく違います。素材もそうですし、パターンも全然違ったので、使うミシンも変わってくる。すべてが新発見みたいな感じでしたね」

 学んできた知識も土台に、自らも発見を繰り返しながら、取り組んできた。

 ロシアのエフゲニア・メドベージェワ選手、中国のボーヤン・ジン選手といった海外の有力選手の衣装も手掛けるなど、国内外の数十を数える依頼が雄弁に物語るように、フィギュアスケートの世界での評価は高い。それは選手サイドばかりではない。観る者にとっても、その衣装は強く印象付けられる。そしてフィギュアスケートにおいて、衣装デザイナーの地位を高めることにも寄与してきた。

「好意的に考えたら、デザインの面で評価していただけたことはあるのかなと思います」

 依頼される理由を、自身はこう語る。そこには、伊藤ならではのデザインを生み出すこだわりがある。(続く)

伊藤 聡美
いとう・さとみ エスモード東京校からノッティンガム芸術大へ留学。帰国後、衣装会社に入社し、2015年に独立。男女を通じ国内外の数多くのフィギュアスケーターの衣装デザイン、製作を請け負う。20年3月、『FIGURE SKATING ART COSTUMES』(KADOKAWA)を刊行。