セコム(写真:日刊工業新聞/共同通信イメージズ)

「水と安全はただ」が常識だった時代に「いずれ安全はビジネスとなる」と考え、日本初の警備会社、セコムを立ち上げたのが飯田亮(いいだ・まこと)氏(1933─2023)だ。常に常識を疑い続け、自らつくったビジネスモデルをも簡単に捨て去る破壊と創造の人生とは──。

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■日本初の警備会社・セコムをつくった飯田亮、貫いた「破壊と創造」の経営哲学(本稿)

■巨大企業グループとなったセコム、創業者の飯田亮は何を目指したのか(5月下旬公開予定)

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兄弟5人中3人が起業家として成功を収める

 2024年4月2日、飯田勧氏が肺炎のため亡くなった。96歳だった。飯田勧氏と言っても、ほとんどの人が「?」と思うかもしれないが、全国に200店舗近くを数えるスーパーマーケット「OK」の創業者だ。

 多くのスーパーが週末に特売を行う。それによって誘客し、特売商品以外も買わせる作戦だ。しかしOKは特売を打たない。その代わりすべての商品について「他店より安い」ことを保証するディスカウントスーパーだ。

 2023年秋には銀座1号店を出店した。東京・銀座のど真ん中で、「ロースカツ重」を299円(税別)という破格値で売って話題となった(現在も同価格で販売中)。

 飯田勧氏は5人兄弟の3番目。長男の博氏は家業の酒類問屋「岡永」を継いだ。次男の保氏は居酒屋「天狗」で知られる「テンアライド」を創業した。そして末っ子であり、本稿の主人公である亮氏はセコム創業者だ。

飯田亮氏(撮影:横溝敦)

 世に兄弟経営者はあまたいるが、5人中4人が経営者、しかも3人が起業家としてそれぞれ成功した兄弟は寡聞にして知らない。

 兄弟の父・紋次郎氏は、夕食のたびに5兄弟に訓示を垂れ、最後は必ず「人に雇われる身にはなるな」と締めくくった。兄弟はその通りに育っていったが、中でも亮氏の独創性は抜きん出ていた。居酒屋にしてもスーパーにしても、珍しい業態ではない。しかし亮氏は、警備会社という日本に存在しないサービス業を立ち上げ、軌道に乗せた。

 その背景には、5男ならではの気安さと兄の足跡から学ぶことができたこと、さらには兄たちが父の事業の延長線上での起業だったことへの反発があった。