だが、「祈り」にも似た「裏切られても信じる」の場合は違ってくる。「裏切られても裏切られても信じる、信じ切る」姿勢を貫かれると、なんとかその信頼に応えたい、そして成長するたびに驚いてくれる喜びを味わいたい、だからもっと努力し、「できない」を「できる」に変えていきたい、と願うようになる。

 明確な結果を「期待」せずに、「祈り」なんていう、あてにならない心理状態でマネジメントなんてできるのか? と思われるかもしれない。しかし人間というのはどうやら、相手がどういうマインドセット(心構え)でいるのかを、敏感に感じ取る生き物だ。

「期待しない」で「驚く」マインドセットへ

赤毛のアン』という小説がある。義父のマシューは、アンの話をニコニコ黙って聞く好々爺。アンが何かできるようになったり、成長したりすると、我がこと以上に驚き、喜ぶ。アンは、それがうれしくてますます努力するようになる。もし、マシューみたいな存在がそばにいたら、「この人に、自分の成長でもっと驚いてほしい、もっと喜んでほしい」と願うようになるだろう。

 マシューは、アンにああなれ、こうなれ、と「期待」していない。期待していないけど、アンが大好きだから、アンが幸せそうにしているのが嬉しいから、アンが成長を見せると驚き、喜ぶ。

『赤毛のアン』は架空の小説でしかない。しかし、読みつがれる作品というのには、何かしらの真実が含まれている。史実はしばしば、小説以上に脚色される。むしろ、虚構であるはずの小説の方が、人の心理をうまく描写していることがある。マシューは、親の、あるいは指導者のひとつの理想像ではないか、とさえ思える。

 リーダーとして、破格の結果を残した劉邦も、劉備元徳も、「信じる」ことのエキスパートだった。部下のいちいちの行動に「期待」せず、えいっと任せることができる人物だった(劉邦はほんとうのところは、嫉妬深かったが、天下を取るまでは本音を隠すことができた)。

「なんとすばらしい働きをしてくれたのか」と驚くと、部下はもっと喜ばせよう、驚かそうとする。「驚く」が、部下の努力の方向性を規定する。なぜなら、上司にとって都合の悪い行動の場合は、驚かずに哀しむからだ。「驚く」だけで、部下は、上司が喜ぶ方向に努力するようになる。

 みなさんも、マシューを目指してみてはいかがだろうか。「期待しない」ことで「驚く」ことができるマインドセットを、自然にこなすことができるようになれば、子どもも部下も、「もっと驚かせたい」と、自主的自発的に動き出すだろう。