ところが、実験が「成功」するとうまくいかない。成功するということは、今までの理論で説明できる現象でしかなかったということで、つまらない。「失敗」したときこそ、思考が大いに刺激される。失敗は、濃密に思考を刺激することができる、すばらしい体験だ。

 私は、学生を指導する場合、わざと失敗してもらうことにしている。機械の使い方でも、危険がない限り、ありがちな失敗は、わざと失敗してもらう。すると、頭に刻み込まれる。

 人間は、何の失敗もせずにうまくいってしまったときは、何の感動もないため、何の記憶も刻まれない。しかし失敗に失敗を重ねた上、ようやくたどり着いた成功には、感動を覚え、決して忘れない。しかもその成功への道のりが、人から教えてもらったのではなく、(なるべく)自力でたどり着いたものであればなおさら。

 だから、私は、危険がないように見守るが、危険のない失敗、あるいは危険なことは「擬似失敗」(それを本当にやったら、こうなるよ、という説明をする)を体験してもらう。そしてなかなか成功させないと、逆に、二度と忘れない。

 しかも、失敗という失敗を重ねているから、仕組みをよく理解し、まだ経験していない失敗でも、「こうすれば大変なことになるだろうな」と予測することができ、失敗をあらかじめ回避できるようになる。豊富な失敗体験があるから、それを前向きに評価するから、理解力と推察力が高まる。

「失敗」を前向きに評価せよ

 現代の指導者は、若者が「失敗しないように」、丁寧に教えようとする。しかし、それがあだとなって、仕組みを十分理解できず、指導者が予想もしないような、まさかという大失敗をやらかすことがある。

「教える」という行為は、指導を受ける身からすれば、受動的だ。受け身だから、なんだか身が入らない。頭にも残らない。