鬼平をめぐる「高麗屋」「播磨屋」
松本幸四郎がテレビと映画で主演することで話題の『鬼平犯科帳』も、ファミリーヒストリーを背負っている。
池上正太郎の小説「鬼平犯科帳」の初のテレビ化は1969年。そこでは、主人公の火付け盗賊改方「鬼平」こと長谷川平蔵を八代目松本幸四郎(1910~1982)、つまり今回新たに鬼平を演じることになった十代目松本幸四郎の祖父が演じていた。
丹波哲郎、萬屋錦之介を経て、1989年から長く演じていたのは、八代目松本幸四郎の息子である二代目中村吉右衛門(1944~2021)。初めのテレビシリーズでは、平蔵の息子・辰蔵を演じていた。十代目松本幸四郎の叔父にあたる。
「歌舞伎ファンにとっても、鬼平ファンにとっても、鬼平犯科帳は高麗屋の松本幸四郎に引き継がれていくべきもの。例えば、團十郎一門や菊五郎一門の誰かをキャスティングしたら、違和感があると抗議の声があがったはずです。すっきり粋な芸風の菊五郎一門の音羽屋ではなく、どっしりした幸四郎一門の高麗屋に演じてもらいたいものなんです」
ちなみに、テレビドラマやミュージカルなどでもおなじみの「松本家」だが、分かりにくいのがその周辺の屋号だ。
役者が舞台に登場したときに「成田屋!」「音羽屋!」などと客席から声がかけられるのが屋号。役者の愛称のようなものと考えていいのだが、ちょっと込み入っている。姓が同じでも、屋号は家系によって違う。例えば同じ「中村」姓でも、中村勘九郎は「中村屋」だが、中村芝翫(なかむらしかん)は「成駒屋(なりこまや)」で、中村梅玉は「高砂屋」。
姓が違っても、家系が同じなら屋号は同じ。例えば松本白鸚とその息子の松本幸四郎と、その息子の市川染五郎(18歳)の3人は、姓は違っても屋号は同じ「高麗屋(こうらいや)」。
しかし、2021年に亡くなった中村吉右衛門は、松本白鸚の弟なのに屋号が「播磨屋(はりまや)」なのはなぜ?という疑問がわく。ここには特別な理由がある。
松本白鷗の母・正子さんは、名優であった初代中村吉右衛門(1886~1954)の娘だった。吉右衛門には息子がいなかったため、松本白鷗の父、つまり初代鬼平を演じた八代目松本幸四郎に嫁ぐのにあたって、「息子を二人産んで、ひとりは松本幸四郎を継がせ、ひとりは中村吉右衛門を継がせます」と言ったと伝えられる。
その言葉どおり、息子は二人生まれ、兄は松本幸四郎を継ぎ、弟は祖父である初代中村吉右衛門の養子として二代目中村吉右衛門を名乗ることとなった。そして、中村吉右衛門の屋号は「播磨屋」だから、兄弟でも違う屋号となったわけだ。
名優・吉右衛門の芸を絶やさない
「白鸚はミュージカル『ラマンチャの男』やテレビドラマ『王様のレストラン』など外部での活動も多い。一方、弟の吉右衛門は、祖父の初代吉右衛門の芸を継承していくことに注力していた印象でした。中村屋など他の役者たちとは違い、同じ演目に出演することが少なかったし、兄弟二人の持ち味も違っていましたね」
吉右衛門は娘が4人で男の子には恵まれなかった。初代吉右衛門の時と同様、人間国宝にもなった二代目吉右衛門ほどの名優に跡継ぎがいないのは、歌舞伎界にとって深刻な問題だ。
「甥の幸四郎が、息子のいない叔父の吉右衛門から学ぼうとしていたように感じられました。同じ舞台に立つことも多かったですし。そして、今回、吉右衛門が演じていた鬼平を、幸四郎が演じることになって、良かったなあと思いましたね」
吉右衛門のDNAは、もうひとつの道で引き継がれようとしている。尾上菊五郎(81歳)の息子である尾上菊之助(46歳)が結婚したのは、吉右衛門の四女・瓔子(ようこ)さんだった。
「吉右衛門は、瓔子さんが産んだ孫・尾上丑之助(10歳)と同じ舞台に立って、今まで見たことがないようなにこにこ顔をしていました。菊之助も、舅である吉右衛門に教えを乞うて、吉右衛門の持ち役を教わっていたようですし、こちらもめでたしめでたしというところです」
鬼平犯科帳にも父子の物語は描かれている。
「私は、父が亡くなったあとの本棚から、文庫の『鬼平犯科帳』を引っ張り出して読んでいるんですが、次々と難事件を解決していく平蔵も、息子のことだけは、どうしたものかと頭を悩ませています。歌舞伎は、父と子という誰にとっても共通のテーマが、実生活と二重写しになっている。そうした家族の物語が見えてくると、歌舞伎がさらに楽しめると思います」
※情報は記事公開時点(2024年1月25日現在)。