文・写真=青野賢一

スタイリスト・小沢宏さんが、故郷である長野県上田市に自身の店「EDISTORIAL STORE(エディストリアル ストア)」を構える過程を追う全5回のシリーズ記事。最終回は5月1日にオープンして少し時間が経過し落ち着きつつある「EDISTORIAL STORE」の様子をご覧いただくとともに、実際に店を開けてみてどうだったかといったところを小沢さんに語っていただいた。

「EDISTORIAL STORE」3階は小沢さんがスタイリングしたルックがハンガーにかけられ、ポールでなくワイヤーに吊るされている。バッグやスニーカーなども同様に引っ掛けられており、独特のリズムを生んでいる

店をやって初めて知るB to Cの気持ちよさ

「B to Cというのがこんなに気持ちいいものなんだ、というのが店を開けてみての率直な感想、発見です」と小沢さん。

「スタイリストとかファッション・ディレクターの仕事って基本的にはB to Bじゃないですか。雑誌のスタイリングの仕事は、読者に向けてやっているとはいいながらも、実際は担当編集の人やタイアップ広告ならクライアントが気に入るとかそういう性格がありますよね。そうした仕事を中心にやってきてコンシューマーと直接関わりあうことがほとんどなかったなかでこの店を始めていきなりB to Cがスタートした。これまでやってきたこととは全然違うな、と思いましたね」

 オープン直後から来店してくれたお客さんの多くは小沢さんが何者かをわかったうえで(とはつまり「EDISTORIAL STORE」がどういった店なのかもある程度理解して)足を運んでくれているのだそう。

「ある意味『ファン』のような方が、シンパシーや期待感をもって来店してくれて。そういう人たちはみんなとにかくいいヴァイブスを出しているんですよね。やっていることや商品にすごく興味をもってくれるし。そんなところから、初めてのBtoC体験は自分にとってはとてもハッピーなものです」

 目指して来店される方が多いので、当然ながら購入率(入店者数に占める購入者数の割合)は大変高いという。

 

スタイリストのキャリアが存分に発揮された店内

 もともと地域の名産品である胡桃を使った菓子の製造・販売を行っていた4階建てのビルを一棟借りしたうちの2階と3階を「EDISTORIAL STORE」としているのは本連載でも再三述べてきたが、実際に商品が並んでいる様子を見るのはこのときが初だった。

 2階はカジュアルなアイテムを中心とした品揃えで、商品はカゴ什器にハンギングされているものがほとんど。単品もあればスタイリングしてあるものもある。取材時には〈NOMA t.d.〉や〈ENGINEERED GARMENTS〉といったブランドのものが並んでいた(いうまでもなく取り扱いブランドは時期や訪れるタイミングで変わるのでご注意を)。

 ややハイファッション寄りのアイテムを扱う3階は、小沢さん自らがスタイリングしたルックをワイヤーにハンガーで吊るして見せている。どちらのフロアも店頭の商品点数は一般的なアパレル・ショップに比べて控えめで、ひとつひとつをじっくりと吟味することができる物量だ。

店内2階の様子。ふたつのカゴ什器のあいだにもポールをかけて、ひとつのラックのように使っている。ハンギングされた商品はコーディネートしてあるものと単品とがランダムに配されていた

 「EDISTORIAL STORE」で取り扱う商品はブランドやショップの経年在庫が中心であるのはこれまでも繰り返し記してきたが、実際に店頭に並んだ際に、そうした商品の「古さ」がどう映るのだろうかということは気になっていた。しかし、こうして目の当たりにしてみると、かえって絶妙にタイムレスな印象を受け、場合によっては新鮮さも感じられた。これはセレクションの確かさももちろんだが、スタイリングの妙も大いに貢献しているのは間違いのないところだろう。まさに「デッド・ストックのライブ・ストック化」である。

 商品についている下げ札には、小沢さん手書きの「キャプション」が記されているのだが、いわゆるうんちくやブランド・ヒストリーではなく自身とそのブランドやアイテムとの出会いのエピソードからスタイリングのヒントまでが書かれていて、読むのも楽しい。このあたりのあしらいは、小沢さんがもともと雑誌畑、もっといえば編集者寄りの仕事からキャリアをスタートしていることとも関係していそうである。

 

「僕は『POPEYE』で御供(秀彦)さんのアシスタントからスタートしてますけど、その頃だとまだスタイリストという概念、呼び名でなく、服好きなフリーランスの編集者が店に行って撮影用の洋服をリースして、で、自分がそれを着て表紙や誌面に登場する、みたいな感じでしたね。ページ構成を考えてレイアウトを自分で書いて、原稿もきれいに箱組みになるように何度も書き直して、なんていうことを僕もやってましたから。そんなふうに『ファッションに強い編集業』としてずっとやってきたから、『雑誌の3D化』というような店を作ることができたんだと思います」