多文化共生の極意 脱力すべし

 湧出量日本一を誇る別府の温泉は、昔からたくさんの人々を惹きつけ、受け入れてきた。お金持ちも、労働者も、病を抱えた人も、障がい者も、諸事情により流れてきた人も、お湯に浸かる時はみんな無防備、ハダカなのだ。そんなふうに紡がれてきた文化が、この街の度量を大きくした。清濁なんでもありのちょっと面妖で、やんちゃで人なつこいところも魅力にして。

 多文化共生の極意は「寛容」といわれるが、別府の場合はそんな澄ました言葉より、「適当」とか、「自分にも他人にも甘い」とかがいい。そこには田舎の息苦しさはないのだ。だから学生たちは温泉に入った分だけ別府の街と人が好きになる。やたら境界を決めて線を引いたり、縦に割ったり、ルールやシステムを押し付けたりしようとする大都会より、地方の方が多文化は生きやすいのだ。

 人口12万人の別府市の外国人の数はいまや4000人。これ、東京都規模に置き換えるとおよそ300万人!日本中の外国人を集めてきても足りないぐらいになるのだ。だから、酔っ払いのラグビーサポーターなんてヘッチャラなのだ。

 かつて、外国人の雇用の話になって「郷に入れば郷に従え、ここは日本なんだから日本のしきたりやルールは守るべきだ」と息巻いていた人がいた。僕は、この「郷に入れば・・・」は、どちらかといえば入る側が意識しておくべき姿勢だと思うのだ。例えば、友人が異国に行く友人に親切なアドバイスをするようなものなのだと思う。受け入れる側が強く言い出すと、不条理な圧力になってしまう気がする。もっと力を抜いて、考え方や行動の仕方や習慣の違いを、「そうなんだ〜」、「それも悪くないな」と味わってみることなのだ。ペコパの漫才みたいにね。

 そう、別府に限らず地方はもっといい意味で、脱力すれば良いのだ。身構えることなく、粋がることなく、恐れることなく、自分から力を抜くことで、ちょうど筋トレ依存で筋肉がカチカチに重くなったような都会人の力を抜いてあげることだ。

 それが実はインバウンドの極意だったりするかも知れない。やたら高級ホテルを誘致したり、海外リゾート見たくアクティビティをひねり出したりしようと苦悶するよりも。

 昨年の3月末で還暦リタイヤした。6月からは、仕事と暮らしの拠点を東京に移した。それでも、別府市行政のお手伝いなど縁は残せることになった。

 僕も、「にわか」ながら、足早に地下を這い回る東京人の端くれとして、いまや別府の温かさが身にしみる。

 そんな最近の僕は、別府の人に、別府を語る。

居心地 暮らすような旅がある。
刺激  旅するような暮らしがある。
記憶  遠くにいても近くにある。
それが「別府の幸福論。」

 まさにグローバルとローカルがハグしている街だ。