もう1つ、女性が革命を起こした仕事がある。死に化粧だ。霊安室に安置される遺体に化粧を施すのは、看護師の当番で行われていたのだと言う。しかし「どうせ」死んでいるのだからと用意されていたのは、折れた口紅、残りかすのファンデーションといった投げやりなものだった。

 ある女性の看護師が「これでは亡くなった方や、遺族の方もかわいそう」と一念発起し、死んだ人の肌にも合うような化粧品の研究を始めた。その成果はやがて現れ始め、かつて元気だった時の顔貌を取り戻したのを見た遺族が、涙を流して喜ぶようになった。やがてこの死に化粧は「エンゼルメイク」と呼ばれるようになり、全国の看護師が研修で学ぶ技術として確立するようになった。

 養生用のテープもそう。ペンキが余計な場所に付かないようにするためのマスキングテープを、女性が「プレゼントの紙袋を破かずにはがせる」という機能面に着目し、これに柄をつけてほしい、と念願したのがきっかけで「マステ」と呼ばれる商品が生まれた。今や雑貨店で無くてはならない一大商品に生まれ変わった。

「どうせなら」がイノベーションを生み出す

 これらの商品、サービスは「どうせ」を「どうせなら」と発想を切り替えることで全く新しいものに生まれ変わった好例だ。ならば、今、私たちが「どうせ」とみなしているものにこそ、イノベーションの芽はあると考えた方がよい。

 たとえば塩ビ管はどうしたわけか、グレーと黒しか色がない。「どうせ」地中に埋めたり奥に隠してしまうものだから、丈夫でさえあればよい、と考えられてきたためだろう。

 だがもし、鮮やかな赤や、漆調の黒、迷彩塗装の塩ビ管があったらどうなるだろう。室内インテリアの1つとして、むしろ「魅せる」形で配管を露出させるという演出が可能になるかもしれない。寺院の苔生した庭に調和する配管が可能になるかもしれない。

 塩ビ管にグレーと黒しかないのは、紫外線に強いとか、地中に埋めても分解しないなどの丈夫さが求められているからだというのは承知しているが、配管しなければならないのはそういった場所ばかりでもない。「どうせ」塩ビ管と思わずに、「どうせなら」見える形で目を楽しませる塩ビ管を開発してはどうだろう。耐久性については、それこそ技術開発の目標とすべきだろう。

 世の中には、「どうせ」とみなされることで打ち捨てられている商品は、まだまだあるだろう。それを「どうせなら」という視点で見直すことで、リノベーションしてはいかがだろうか。

(追伸)
「可愛い軽トラ」はその後、「農業女子プロジェクト」と銘打って、ダイハツからカラフルな軽トラが販売されるようになった。なんでも提案してみるものだと思う。