慶應義塾幼稚舎教諭、慶應義塾高校野球部監督の森林貴彦氏(撮影:千葉タイチ)

 2023年夏の全国高等学校野球選手権記念大会(以下「甲子園」)で107年ぶりの優勝を果たした慶應義塾高等学校。高校野球といえば監督と選手の「上下」の関係のイメージが強いが、同校野球部の森林貴彦監督は選手一人一人とフラットな目線で接することに徹する。100人を超える選手たちとどのように対話し、意見やアイデアを引き出し、動機付けを図っているのか。森林監督の指導理念に焦点を当てた前編に続き、チームに心理的安全性をもたらす独自の「コミュニケーション術」を聞いた。(後編/全2回)

シリーズ「スポーツに学ぶ『変革の流儀』」
スポーツ界において、新たな挑戦をつづける人々、組織や競技の変革に取り組む人々が、自身の経験を通じて培ったリーダー論、人材育成論、組織論などを語るシリーズ。

「どんな結果でも批判は必ずある」高校野球の変革に挑む慶應・森林監督の信念
■「俺のおかげ」とはまるで逆、慶應高野球部・森林監督が語る選手との対話術 ※本稿

「中国にどう勝つか?」Tリーグ創設の立役者・松下氏浩二氏が語る変革の思考法

答えが決まっている会話はコミュニケーションではない

――選手たちとの日ごろのコミュニケーションについては、どのようなことを大切にしていますか。

森林 貴彦/慶應義塾幼稚舎教諭、慶應義塾高校野球部監督
慶應義塾大学法学部卒業。大学時代は母校慶應義塾高校野球部で学生コーチを務める。3年間のNTT勤務を経て、筑波大学大学院コーチング論研究室に在籍し教員免許(保健体育)と修士号(体育学)を取得。並行して、つくば秀英高校で野球部コーチを務める。2002年より慶應義塾幼稚舎教諭として担任を務める傍ら、母校野球部でコーチ・助監督を歴任し、2015年監督就任。2018年春・夏、2023年春・夏の全国大会出場。2023年夏に107年ぶりの全国優勝を果たす。主な著書に『Thinking Baseball』(2020、東洋館出版社)。

森林貴彦氏(以下敬称略) 一番意識しているのは「フラットな関係」を構築することです。

 試合中、監督がピッチャーに「どうだ、いけるか」と聞き、ピッチャーが「はい、いけます」と答える──そんな、答えが決まっている不毛な会話が、高校野球の世界ではずっと繰り返されてきました。本来はそういう場面でも「握力が落ちてきているので、次の回は危ないかもしれません」「準備はしますが、念のため次のピッチャーを用意しておいてください」と、選手が自分の考えを表明できることが大事。そのためにも、普段から選手とのフラットな関係を築いておくことが求められます。

 例えば、選手たちが「こういう新しい練習を取り入れたいのですが」と練習メニューのアイデアを提案したとします。ただ、予算面や安全面でどうしても実現が難しい。でも「いや、こんなの無理に決まっているだろ」とその場で突き返してしまったら、選手たちは「言わなければよかった」「もう監督に提案するのはやめよう」と萎縮してしまいますよね。

 私の場合は、仮に無理だと分かっていても、「いい提案をしてくれてありがとう」とその場では受け取り、持ち帰ります。そしてよくよく検討してやっぱり無理となったら、後日その選手に「すごく面白い提案だね。でも、この提案を実現するにはこれだけのネットが必要になる。今の予算ではそろえることができないんだ」「この練習をやるとこういう危険性があるから、君たちの安全管理を預かっている者としてはどうしても認めるわけにいかないんだ」と、必ず理由を伝えます。

 その上で「でも、こういう提案してくれることはとてもうれしいから、またアイデア出してよ」と一言添える。それだけで、部員は「認められなかったけど、思い切って提案してみてよかったな」「次もアイデアがあったら提案してみよう」と前向きに捉えてくれます。

――今日のキーワードで言うと「心理的安全性」ですね。

森林 おっしゃる通りです。自分の意思を安心して表明できる関係を日ごろから築いておくことで、甲子園のような大舞台でも自分の意見を言え、自分の判断で行動できるようになるのです。

 ただ、「フラットな関係」とはいっても高校生の彼らから見たら私は親ほどの年齢。なんでも言い合える関係を築くのは簡単ではありません。だからこそ、指導者である私の方がより歩み寄り、距離を縮めるための努力をしなければならないと自戒しています。

 また、そのような関係を構築するのは時間のかかることですが、壊れるのは一瞬です。せっかく地道に積み上げても、指導者の心ない一言でいとも簡単に崩れてしまうので、慎重に接するように心掛けています。