ソニー創業者の盛田昭夫氏(写真:Fujifotos/アフロ)

 トランジスタラジオやテープレコーダー、ウォークマンなど独創的な商品開発で日本を代表する企業に成長したソニー(現ソニーグループ)。創業者の一人である盛田昭夫氏は、優れた技術者でありながら無名だった自社ブランドを世界市場に浸透させた立役者でもある。日本の経済界で偉大な起業家として称えられる盛田氏は、いかにして「世界のSONY」を築き上げたのか──。その類まれなる経営手腕とリーダーシップで成し遂げた数々の功績を振り返る。

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2023年7月21日)※内容は掲載当時のもの

<ラインナップ>
【前編】盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか(今回)
【後編】盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した

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オンもオフも全開で突っ走っていた

 今でも忘れられないシーンがある。

 京葉線南船橋駅のすぐそば、現在はスウェーデンの家具チェーン「IKEA」の日本1号店がある場所に、かつて長さ500mのゲレンデを誇る世界最大の屋内スキー場「SSAWS(ザウス)」があった。開業は1993年7月。それに先立ち、関係者や来賓、メディアなどを集めたお披露目会が開かれた。

 そこで目にしたのが、かなりのスピードで滑降してくる、ロマンスグレーの年配男性。誰かと思えば、当時72歳のソニー会長、盛田昭夫氏だった。盛田氏が還暦を迎えてからスキーに挑戦したことは知っており、写真も見たことはあったが、しょせんは六十の手習い、大した実力はないと思っていた。その予想をはるかに上回る華麗なターンを見て、思わず「かっこいい」という言葉が口をついて出た。

 この4カ月後、盛田氏はテニスのプレー中に脳出血で倒れ、1999年に亡くなるまで闘病生活を送る。60歳でスキー、65歳でウィンドサーフィンを始め、67歳でダイビングのライセンスを取った。

 仕事で世界中に飛び回るだけでなく、時間があれば仲間を集めて陽気に趣味を楽しむ。オンもオフもエンジン全開で突っ走っていたことが脳出血の遠因とも言われたが、それが盛田氏のライフスタイルであり、この性格と行動力があったからこそ、世界中に知己が広がり、それが「世界のソニー」誕生に大きな役割を果たしたことは間違いない。