「うまくいくこと」、つまり成功を願いすぎてもいけない。「うまくいかなかったらどうしよう」と思うと、気持ちが萎縮してやる気が失われてしまう。「うまくいかなかったら、改良してやり直しゃあいい」と、気楽に失敗する気持ちが大切。

 いきなり正解は出せないし、たくさんの課題を解決できるわけでもないが、解決できそうだと見込んだ課題だけは、改良に改良を重ねて解決策を見つける。こうした作業を繰り返しできる人は、経験値の多寡に関わらず、課題を一つひとつ解決する手段を見つけていく。こうした人は、観察を続ければ続けるほど、解決手段を次々と獲得していく。

 経験が乏しくても、場合によっては経験が皆無であっても、現場での現象を、穴が開くほど仔細に観察し、課題を抽出し、解決できそうな仮説を立て、試してみて、ズレを修正すべく、再び観察に戻る。こうした観察力、抽出力、仮説力、実践力、修正力がある人は、現実から遊離することなく、具体的で着実な解決策を次々と見いだすことができる。

後進の観察力を育てるには

 自分自身を「名人」と呼ばれるまで育て上げる人は、こうした工程を繰り返し行っている。ただし、名人といえど、弟子を育てられない人がいる。こうした人は、無意識に実践していたのであって、言語化できていないのが原因のようだ。自分にできたことを他人にもできるようにするには、言語化しなければならない。他人に伝えるには、言葉がどうしても必要だからだ。

 しかし、言語化しただけではまだ足らない。言葉をどう解釈するかは、人それぞれだからだ。私が「赤」と聞いてイメージする色と、他の人がイメージする色合いは、必ずしも同じとは限らない。言葉で伝えられることはごくごく限られている。体感的なことはほとんど言葉では伝えられない。

 となると、言葉で伝えようとするのではなく、「人間はどんなときに深く学ぶのか」ということを知る必要がある。弟子、あるいは部下が、どのような状況に置かれたときに深く学ぶのか。誤った知識をそのままにせず、常に知識を更新し、学び続けるように仕向けるにはどうしたらよいのか。