幕府は、未来攘夷(現行の通商条約を肯定し、富国強兵を果たした上での攘夷実行を志向)を標榜していたが、朝廷から即時攘夷(現行の通商条約を否定し、条約破棄のための目の前の攘夷実行に固執)を迫られ、できもしない破約攘夷を宣言するに至る。まずは、幕府が攘夷を実行せざるを得なくなった、具体的な経緯から話を始めたい。 日本と欧米列強5ヶ国との間に通商条約が結ばれたのは、安政5年(1858)である。それ以降、朝廷は即時攘夷(条約破棄)、幕府は未来攘夷(条約容認)と、国是(対外方針)はまさに2つに分断され、幕末の動乱が始まったのだ。 桜田門外の変によって、稀有な独裁者であった大老井伊直弼を失い、武力を盾にした