取材・文=吉田さらさ

日枝神社 写真=アフロ

江戸城内から遷された特別な神社

 今回は東京を代表する神社のひとつである日枝神社をご紹介しよう。この神社は日本の政治経済の中心地、永田町の一角の高台にある。境内に上がるための石段は何か所かあるが、そのひとつには立派なエスカレーターも併設されている。

 周囲に聳える高層ビルを眺めながらこのエスカレーターで登っていくと、まるで天下を取ったかのような気分になる。日本に神社多しと言えど、最先端の大都会の眺望をこれだけ楽しめるところはほかにないだろう。観光で東京に来た方にもおすすめしたい。

 まずは祭神のお話から。こちらの本宮は以前この連載でもご紹介した滋賀県の日吉大社である。日吉大社は比叡山の麓に鎮座し、全国3800社ほどの日吉・日枝・山王神社の総本宮だ。主祭神の大山咋神は、山、水を司り、万物の生成発展を守護する神として広く崇敬を受けてきた。神仏習合時代には山王権現とも称されたため、現在でも日吉大社を山王さんと呼ぶことがある。その流れで、日枝神社も山王さんという愛称で呼ばれる。大山咋神はお山に君臨する王様のような存在なのだろう。

 現在の日枝神社は赤坂のビジネス街を睥睨するような場所に鎮座しているが、はじめからここにあったわけではない。この神社の歴史は、鎌倉時代初期、秩父氏という豪族がその居館に祀った山王宮に始まるという。

 15世紀には太田道灌が江戸城を築城し、川越山王社を勧進した。1590年、徳川家康が江戸城を居城とし、場内の紅葉山に新しく社殿を建てた。そして2代将軍秀忠による江戸城大改築の際に、半蔵門外の、現在の国立劇場付近に遷された。その後、1657年に明暦の大火(通称振袖火事)の被害に遭い、現在の場所に遷座した。この場所はかつて星がよく見えたことから、「星ケ岡」と呼ばれた。

 江戸城内から遷された特別な神社であるため、歴代将軍などの参拝が絶えることがなかった。明治以降、江戸城が皇居となってからは皇城を鎮護する神となり、皇室からの崇敬も厚くなった。

 1923年、東京の主な神社は関東大震災により焼失などの大きな被害を受けたが、日枝神社は燃え残った。被災した日比谷大神宮(現在の東京大神宮)から運び出された御霊代を、復興までの一時期、日枝神社の境内に遷座したという逸話も残っている。

 しかしそんな日枝神社も、太平洋戦争の空襲により国宝の御社殿を含むほとんどの建物を失った。そして1958年、多くの建物が再建され、立派な姿が蘇った。こうして由緒を辿ると、この神社の歴史と江戸~東京の歴史は重なる部分が多い。数々の大火災、大震災、空襲で度重なる壊滅的な被害を受けても、その都度力強く蘇った不屈の都市東京と、それを守り続けた山王さんなのである。