文=今村正治
学校の企画アドバイザーの仕事
月に一度のペースで札幌に行くようになった。昨年6月から学校の企画アドバイザーの仕事をいただくことになったからである。寒さに備えて、早いうちから分厚いコートや氷雪に強い靴を手に入れた僕としては、今年の異例とも言える暖冬にはやや物足りない気持ちもあった。ところが、このあいだ訪れた時にはドッサリ雪が降ってくれたのだ。
しかし、校門前で滑らないはずの靴がツルっと、自慢のコートもろとも転倒した。そんな話を学校のスタッフと飲みながらしていたら「地元の人間も転びますよ」、最近もいっしょに歩いていた同僚が転倒し「景色から消えた」という。その表現がなんか可笑しかったなあ。 その帰り、僕も「景色から消える」ことになるのだが。
翌日の朝は快晴。札幌の街は雪景色。地下鉄に乗り、自衛隊前駅で降りる。街なかとは違い、郊外には雪がみっちりと積もる。慎重に足元を踏みしめながら校門に向かう。札幌新陽高校、僕の北の仕事場だ。
開校60年を超えるこの高校は、生徒募集に苦しみ、5年前には身売り、閉校の危機に瀕していた。再建に乗り出したのは、それまで学校経営に関わっていなかった創設者の子、孫である。北海道選出の国会議員、荒井聡さんが理事長に、ソフトバンクで孫社長の薫陶を受け、福島の復興支援に取り組んでいた荒井優(ゆたか)さんが校長に就任し、2016年に新体制がスタートしたのである。
16年春の入学者は定員280名に対し156名であった。そんな状況に、教員免許状も持たない校長が学生募集の先頭に立ち、トレーナーとスニーカー姿で全道を駆けめぐった。2回のオープンスクールに出席したら、25万円の入学金を無料にするという思い切ったこともやった。すると翌年の入学者は一気に322名に!そして3年間でなんと全学年が定員を充足するまでになったのだ。
「学校を変える」という本気
再建を可能にしたのは入学金無料化だけではない。「学校を変える」という校長の本気に、教職員も生徒も変わっていったからだ。
この間に、教員だけでない多彩な人材も続々と集まってきた。いまも教育に限界を感じていた教員、スペインリーグにいた元プロサッカー選手、病院など事業再生のプロフェッショナル、そして、ビリギャルのモデル、小林さやかさんなどである。
そんな中で、テストの得点よりも課題解決の力を、と立ち上げた「探究コース」、平時10時間、休暇期間4時間の変形労働時間制、非正規雇用教員の条件改善など、次々と改革が生まれている。
大切なのは、受験偏差値の高さこそが優位であり、成功のバロメーターであるかのごとき高校界の常識を覆したことだ。高校進学すら諦めていた生徒が大学をめざす、大学に進学できない生徒も自信を持って社会に出ていく。そんな学校が奇跡的に登場したのだ。「奇跡は奇跡的に起こらない」は金大中の言葉だが、トップが本気になって、行動すれば学校はホントに前に進む、その凄さには圧倒された。
北海道には、地方の前途を暗くする問題がより重くのしかかっている。学校の統廃合、ローカル線廃止、若者の道内都市部・本州への流出、貧困率も全国上位・・・。この現実をなんとかしたい。そのために教育者としてできることは、まず学校をつぶさないことだ。荒井校長の「熱源」はそこある。
そんなときに僕も新陽高校のメンバーになった。38年間教育の世界にいた僕にとっても、新陽高校は実に面白い。お世辞にも立派な校舎とは言えないけれど、外から来る人にびっくりするぐらいオープンで、やんちゃな生徒に負けないぐらい教員室も賑やか。とにかく教職員はこの何年間、泥んこ合戦の繰り返しみたいな毎日だったに違いない。だからこそ、よその学校にはない、なんでも来いという前向きな姿勢、ジャンルを問わず外部から貪欲に学んでいこうという姿勢を感じる。この学校なら自分たちの生き残りだけではなく、もっと広い視野で未来の教育を変えてくことに情熱を燃やせるのではないか、そんな可能性を感じるのだ。
アイヌを軸にした壮大な物語
ここからは雪原の夢想だ。
最近、直木賞受賞を受賞した川越宗一の『熱源』を読んだ。19世紀末から20世紀半ばまで、サハリン(樺太)のアイヌを軸に、和人、ロシア人、亡国ポーランド人、先住民ギリヤーク、ウィルタが繰り広げる壮大な物語である。
とにかく、アイヌがいいんだ。この物語に登場するアイヌは、被搾取、被差別の哀しいだけのものではなかった。蝦夷地、樺太・千島、ユーラシア大陸と境界なく自在に移動し、様々な民族と交易する自由奔放の民であった。自然を敬い、祖先に祈り、神と対話し、家族と仲間を思いやり、文化と音楽を楽しみ、微笑みの輪の中で生きてきた誇り高き民であった。だから、国家とか国境とかそんな厄介なものは、つくれないのではなく、つくる必要がないのだ。
多様な文化、民族が、混ざって凍って溶けて流されてぶつかり合う豊穣な世界が蝦夷地を取り巻く一帯にあった。クレオールはカリブやアフリカだけじゃないのだ。
北海道の厳しい現実とこれからも格闘しようとする学校、そして若者。彼らを目の当たりにして、もはや限界に来ている現代国家の弱肉強食の摂理を乗り越えて、未来のグローバル化の担い手が、かつて存在したアイヌ的世界を受け継ぐことで北海道の土壌から生まれるかも知れない、と。そんな想いを馳せてみるのは素敵なことである。