天才たちを次々と論破したこの様子に衝撃を受けた人たちが、のちに「弁証法」としかつめらしい名前を付け、ソクラテスの偉大さをたたえたのだけれど、私には、ソクラテスの真の偉大さはそこにはないように思う。ソクラテスは、誰からも「知」を吸収しようとした。ソクラテスはおそらく、プロタゴラスやゴルギアスからも学びたかったのではないか。しかし「天才」たちが勝手に「バカの壁」を設け、知ったかぶりをしたがために、自滅しただけのことなのだ。

 ソクラテスは若者に話すときと同様、「訊く」ようにしただけだ。若い人には「産婆術」として働き、新しい知の発見につながる技術が、自分は天才で他はバカ、と思っている人に対しては「弁証法」と呼ばれて、知ったかぶりであることを明らかにしてしまう技術になるのだから、興味深い。

「バカの壁」を乗り越える

「バカの壁」を取り払った人の話をしてみよう。板画家として世界的に名高い棟方志功氏は、若いころ、大変傲慢で、自分を天才と考え、他の人の芸術をこき下ろすこともたびたびだったという。しかしそのことで、棟方氏は自ら「バカの壁」を作っていたともいえる。

 しかし転機が訪れる。柳宗悦氏との出会いだ。柳氏は、無学な農家、庶民が作った民芸品の美しさを「発見」した人だ。芸術に何の知識もない人たちが作り出した、素朴な美の存在に気付いた棟方氏は衝撃を受けた。以後、棟方氏は、どんな人からも教えを乞うようになったという。どんな人の片言隻句からもヒントを得、学ぶことができることを知ったからだ。

 哲学は、向こうの言葉でフィロソフィア(フィロ=愛、ソフィア=知)と呼ばれる。愛知県みたいな言葉だが、本来なら「愛知」と訳されて当然の言葉だ。ソクラテスはまさに「愛知」の人であり、バカの壁を一切設けなかった。柳宗悦氏に出会ってからの棟方志功氏も、「愛知」の人になったと言える。バカの壁を自ら設けず、ありとあらゆる人から、芸術のためのヒントを得ようとしていたのだから。

 あなたは「知を愛している」だろうか? もしそうなら、バカの壁を設けるのはもったいない。自分の方が優れているといって優越感を感じようとするのは、バカの壁を建設し始めた証拠だ。それよりは、「この人は、私にはない、何を持っているのだろう?」と興味を持ち、自分にないものを引き出すために「訊く」ようにしてみてはどうだろう。あなた自身が知の誕生を支える産婆になるのだ。

 ソクラテスは、「バカの壁」を設けず、知恵をどん欲に吸収するというロールモデルを見事に体現した人物だ。コーチング技術の発見(産婆術の再発見)が行われたことで、改めてソクラテスの偉大さが再認識されつつあるように思う。

 新しい事業を起こしたい、新しい発想の商品を生み出したいという人は、ソクラテスを見習い、バカの壁を設けず、あらゆる人から「訊く」ことで知を生み出す産婆術をマスターしていただきたい。そうすれば、ビジネスの世界はもっとワクワクするような現場に変わるだろう。