「ダイバーシティ」だけでは不十分

 先に述べたとおり、多くの企業では、育児や介護などの事情がある人の働き方には配慮しているかもしれないが、そうでない“普通”の人は残業するのが当たり前、という習慣までは変わっていない。あるいは、変えようと思っていないとも言えるだろう。

 だが、「普通の人は残業している」という“常識”がある限り、普通の人々の心の中から「早く帰る人は、自分たちよりも貢献度の低い人」という意識を拭い去ることはできない。つまり「一軍である自分たち」と「二軍でしかない人々」、コアメンバーである自分たちとそうではない人々、といった区分が、暗黙のうちになされてしまうのである。

 また、同調圧力の強い日本の組織においては、早く帰るという特別な権利を享受している人たちは、別の場面で権利を制限されても仕方ない、という考え方が容易に広まる。「時短で働くからには、人事考課における高評価や昇進は望めないと思ってほしい」「早く帰る人だから、新しい仕事のチャンスを他の人のようにはあげられない」というような理屈がまかり通ることになってしまうのだ。

 かくして、「早く帰れるように」という配慮を受けた人々は、「100%認められる」というところからほど遠いところに、置き去りにされることになる。

 当然ながら、「自分は100%認められている」と思えない人のモチベーションは下がる。ダイバーシティ(多様性)が高まったとして、組織内に増えた「多様な人々」が低いモチベーションでしか働かないのであれば、ダイバーシティは経営の価値になるどころか、経営にとってネガティブにしか作用しない。ダイバーシティとインクルージョンがセットで実現されなければならないというのは必然なのだ。

 もちろん、インクルージョンを阻むのは長時間労働体質だけではないし、長時間労働の弊害は、社員の健康状態の悪化、生産性への意識の低下など他にも及ぶ。

 だが、「残業は仕方ない」「働ける人は働きたいだけ働けばいいではないか」と考える“普通”の人々の感覚こそが、組織を深いところで蝕んでいるかもしれないということには、自覚的であった方がいい。

「誰もが早く帰れる」組織を目指すのは、すべての人から質の高い貢献を引き出すための最初の一歩なのだと心得たい。