明石博高は、錦小路頼言の門下となった関係から、三条実美や岩倉具視の知遇を得た。さらに、西郷隆盛、梅田雲浜、頼三樹三郎とも交流し、中央政局における激動の苛烈な幕末政治史を目撃したのだ。 明石自身は、幕府が結んだ通商条約を破棄し、攘夷を実行する破約攘夷運動に巻き込まれることなく、一定の距離を取ってはいたものの、即時攘夷の嵐が吹き荒れる京都に住み、運動にまい進する志士たちと交流を重ねた。なお、明石は大田垣蓮月、高畠式部などの女流歌人とも深く交遊している。 ちなみに、時期ははっきりしないものの、明石は伊藤博文と蘭医学関連で知遇を得たとあり、明治14年(1881)には伊藤を自宅に招待して、歓談している
京都を近代化した偉人・明石博高を支えた幕末志士ネットワークとは?平野国臣と「殉国志士葬骨記」
幕末維新史探訪2024(40)京都を近代化した偉人・明石博高ー知られざる幕末志士との交流③
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