19世紀後半から20世紀にかけての日本。黒田清輝、藤島武二、佐伯祐三ら、日本人洋画家たちが新たな時代の絵画を模索しフランスへと渡るなか、画家を志していた北川民次は早稲田大学を中退しアメリカへと向かった。特に明確な理由があったわけでも、ひねくれ者だったわけでもない。ただ、アメリカのオレゴン州ポートランドにいる兄を頼ってのことだった。 ポートランドのレストランで働きながら、語学学校に通って英語を習得。1年余りで兄の元を去り、シカゴを経て、ニューヨークへ。1918年にアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨークに入学し、アメリカの都市の人々を描いたアシュカン派の画家ジョン・スローンに師事。北川
革命直後のメキシコ、画家・北川民次は何を見たのか?「民衆を描き、民衆と生きる」姿勢を貫いた画家の生涯を追う
世田谷美術館「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」開幕
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