1980年代から90年代にかけての自民党は、田中角栄元首相の隠然たる力を背景に動いていきました。1974年に金脈問題で退任に追い込まれ、ロッキード事件で刑事被告人になったとはいえ、田中氏はキングメーカーとして党内に君臨。「カネの力、数の力」を武器として“田中派支配”と呼ばれる態勢を作り上げていました。 しかし、田中派支配が続く一方で、1980年代の10年間はガチンコの総裁選が一度も行われませんでした。話し合いで次期総裁を決めるパターンが続出していくのです。鈴木善幸氏(在任1980年7月〜1982年11月)の場合も、最初は党副総裁の“裁定”で選ばれ、2度目の任期は対立候補のいない無投票でした。