嘉永4年(1854)、島津斉彬は鉄製砲の鋳造と洋式船の建造に着手した。西欧列強のアジア進出に強い危機感を抱き、藩主就任と同時に軍備の近代化・強化にまい進した。同年に精錬所を設立し、反射炉の建造を始めとする集成館事業を展開したのだ。 集成館事業の施設概要であるが、なんと言ってもその中心は、大砲の一貫生産のための反射炉2基・溶鉱炉1基・鑽開台1基であり、すなわち、鉄の生産を推進した。また、領民のために耕作用具・大工道具を製造するため、製鉄所・農具工場・工作機具工場・刀剣工場(製)を設置した。 さらに、ガラス工場・陶器工場・製紙工場・胡粉工場・鉛粉工場・膠工場・皮工場・氷砂糖工場・地雷水雷製造所など