何としてでも孫を天皇にする――。 そんな藤原兼家の野望がついに実現することとなった。「寛和の変」によって、花山天皇が出家すると、皇太子で兼家の孫にあたる懐仁(やすひと)親王が、一条天皇として即位する。寛和2(986)年6月23日のことである。 一条天皇はわずか7歳だったため、兼家が摂政となり実権を握ることとなった。兼家は自分の息子たち、道隆・道兼・道長を露骨に出世させていく。 約4年後の永祚2(990)年正月5日に一条天皇が元服。今回の放送回は一条天皇の元服シーンから始まり、こんなナレーションがなされている。「この日は一条天皇元服の日。加冠役を務めた兼家は、政権トップの座を揺るぎないものとした