今回は最初に、アーネスト・サトウと横浜との関連について、述べておこう。サトウは、生麦事件(1862年9月14日、文久2年)の6日前に横浜に到着し、公使館事務の手伝いをしながら競馬やボーリング、ビリヤード、購入した馬での遠乗りなどを謳歌した。 サトウは、「居留地を見おろす丘から見た神奈川方面の眺めは素晴らしく、風景はまさにイギリスそのものだ」と日記に書いている。一方で、居留地は活気に満ちていた反面、喧嘩や拳銃が発砲される危険で気が休まらない雰囲気であるとも書いていた。 生麦事件や下関戦争を契機に、イギリスとフランスは自国軍隊による横浜居留地の防衛を主張したため、1863年(文久3)7月2日、英仏