次は珍しいテクノクラート(技術官僚) である。『日本文徳天皇実録』巻五の仁寿三年(八五三)六月辛酉条(二日)は、侍医菅原梶成(すがわらのかじなり)の卒伝を載せている。 梶成は系譜が不明である。もともとは宿禰(すくね)姓であったし、極位も外位であったから、はたして道真たちの属する菅原氏本流と同族であったか、非常に疑問である。 医家として有名な、『大同類聚方(だいどうるいじゅうほう)』の撰者である出雲広貞(いずものひろさだ)の子に菅原峯嗣がおり、峯嗣(みねつぐ)も『金蘭方(きんらんほう)』を撰した名医であった。峯嗣は元は出雲(いずも)氏であったが、貞観十年(八六八)に出雲姓から菅原姓に改姓されてい