17世紀以降の江戸幕府の対外政略は鎖国であったが、世界に開かれた「四つの口」(蝦夷・対馬・長崎・琉球)を有していた。長崎の出島では、欧米諸国の中でオランダのみが、通商を許されていた。幕府は開国に踏み切るまで、オランダから世界情勢を見聞しており、最後まで友好関係を崩さなかったのだ。 弘化元年(1844)、オランダ国王ウィレム2世は開国を勧告する国書を12代将軍徳川家慶に送付したが、幕府は拒絶している。また、嘉永5年(1852)、オランダ商館長クルティウスは別段風説書の中で、アメリカからペリー艦隊が派遣され、砲艦外交で通商を迫ることを幕府に事前通告した。 その予告通りにペリーが来航し、嘉永7年(1