あらためて『どうする家康』をふり返ったとき、考証や画面構成の問題以上に、筆者には気になる問題がある。人物、わけても主人公の人物造形の問題である。というより、戦国大河における主人公の人物造形はとても難しい局面にきている、と感じる。 かつて戦国大河の主人公たちは、単純・純粋な野心に突き動かされて敵と戦い、領土を広げ、天下を目ざしていた。こうしたタイプの戦国大河では、主人公がわかりやすい上昇志向をもって乱世を颯爽と駆け抜けてゆくから、経済成長期の日本人には違和感なく受けいれられた。 風向きが変わったのは、1990年代に入る頃からであろう。『利家とまつ』『秀吉』『おんな太閤記』『功名が辻』などでは、夫