「家督」というと、われわれは漠然と「家長の立場」をイメージする。でも、戦国時代の「家督」とは、もっと生々しいものだ。実質的には「家の所領・財産を相続・支配する権利」を意味していたのだ。つまり、清洲会議における第2議題の「織田家家督問題」とは、織田家領を誰が相続し支配するか、ということなのである。 歴史の本を開くと、「天正10年の戦国大名勢力範囲」みたいな図が載っていて、日本の中心部が織田家の勢力範囲として示されている。けれどもこれは、信長が個人的な実力で押さえていた織田天下グループの営業範囲であって、本社資産としての織田家領は、尾張・美濃の2か国だ。 この尾張・美濃2か国は、筋からいったら三法師
「清洲会議」では解決できなかった信長の後継者問題、秀吉vs.勝家の発火点
誤解されがちな清洲会議の「議題」とは?(後編)
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