吉田松陰の対外思想は、松陰刑死後も長州藩の方向性に多大な影響を与え続けた。と言うのも、文久期(1861~1863)に藩政の中枢を牛耳って即時攘夷を実践したのは、松下村塾で直接松陰から教えを受けた塾生が中心であったからだ。 その筆頭と言えるのが、久坂玄瑞であろう。久坂は高杉晋作ともに松門の双璧と言われ、そこに吉田稔麿、入江九一を加えて四天王と称された。また、久坂らが兄のように慕った桂小五郎(木戸孝允)は、嘉永2年(1849)に藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった松陰から兵学を学んでいる。桂は松下村塾の門下生ではなかったが、終生松陰のみを師として仰いだのだ。 さらに、藩要路である周布政之助は、松陰の