音楽家にとって耳は命だ。それと同じように植物学者にとって目は命なのである。70歳を過ぎた頃、富太郎は自分の植物を見る目はもう深まらないと思うことが多くなり、現役の植物学者を引退する機が訪れていることを自覚した。幸い池長孟(※)の支援のお陰で、標本の散逸も免れそうだった。 昭和14(1939)年、富太郎は東京大学を辞めた。77歳だった。 教育公務員である東京大学の教員には、富太郎没後の昭和60(1985)年まで定年制は導入されていなかった。そのため、勧奨による退職が行われていた。 植物学教室では、初代教授の矢田部良吉は在職途中の明治24(1891)年に非職を命ぜられ39歳で教室を去ったが、続く松