元治元年(1864)5月ころ、五代友厚はトーマスグラバーの助力を得て、長崎で完成させた薩摩藩の富国強兵・殖産興業・留学生派遣に関する上申書を、薩摩藩家老・小松帯刀に提出。藩内においては、五代は小松・大久保利通と特に親しく、小松は亡命している五代の身を案じて、上海行きを勧めたほどである。