慶応2年(1866)6月7日、第二次長州征伐(幕長戦争)が始まった。幕府は苦戦を続けていたが、その最中の7月20日、将軍徳川家茂が大坂城で急逝。徳川慶喜は、将軍職は固持したものの徳川宗家の家督を相続し、幕長戦争の指揮を執ることになった。
朝廷、会津桑名との断絶が決定的となった慶喜の「裏切り行為」
渋沢栄一と時代を生きた人々(15)「徳川慶喜⑤」
Premium会員登録のご案内
Premium会員の特典
- プレミアム限定の記事配信
- プレミアム専用記事レイアウト
- 印刷に最適な画面提供