肉体的生命よりも内面的生命の自由と幸福を重んじた明治期のクリスチャンで詩人の北村透谷(きたむらとうこく:1868-94)は明治25年『処女の純潔を論ず』と題し、「天地愛好すべき者多し、而して尤も愛好すべきは処女の純潔なるかな。もし黄金、瑠璃、真珠を尊としとせば、処女の純潔は人界に於ける黄金、瑠璃、真珠なり」から始まる一文を発表したのが日本における純潔思想の起源とする説がある。