宮城の牡蠣を追ってたどり着いた地は東京湾 牡蠣のイノベーションと大震災(前篇) 2016.1.15(金) 漆原 次郎 フォロー フォロー中 シェア84 Tweet この写真の記事へ戻る 1799(寛政11)年発行『日本山海名産圖會』(法橋關月画、柳原喜兵衛出版)に掲載されている「廣島 牡蠣 畜養之法」。魚を獲るために建てた篊(ひび)に付いている牡蠣を採っていると見られる(所蔵:国立国会図書館) 拡大画像表示 牡蠣の垂下式養殖法。丸太で筏をつくり、牡蠣の種苗の付いた貝殻を海中に垂らして養殖する。垂下式には、棚をつくって種苗の付いた貝殻を垂らす「簡易垂下式」などもある