開国後の日本にとって最も重要な外国は、植民地が世界中に存在した太陽が沈まない国であるイギリスであろう。鎖国後の日本との接触は、文化5年(1808)にフェートン号がオランダ船捜索のため長崎に入港した事件が最初であり、1820年代には、捕鯨船その他のイギリス船が補給のため来航し、日本人と衝突する事件も発生している。 これに対し、幕府は強硬な態度をとり、文政8年(1825)に無二念打払令を発令した。その後、特にアヘン戦争の後は、イギリスの関心は清(中国)に集中したため、日本への圧力は一時的に治まった。そのため、日本の開国はアメリカの手に委ねられたのだ。しかし、南北戦争の間に、アメリカに代わって対日外