1871年に日本からの最年少留学生として6歳の時にアメリカへ渡り、11年を経て17歳で帰国した津田梅子。彼女は津田塾大学の創立者で、日本の女子教育に多大な功績を残したことで知られている。だが、彼女の帰国直後の葛藤や、再留学の経緯など、当時の女性と学問をめぐる社会状況との関わりについては、これまであまり注目されてこなかった。科学者としての津田梅子の足跡を追った古川安(ふるかわやす)の仕事によって、近年ようやくその詳細が伝えられるようになったばかりである*1。 津田梅子はワシントンDC近郊のジョージタウンに暮らすチャールズ・ランマン家に預けられ、11年間をアメリカで過ごした。ランマンは、森有礼のも