【クレディ・スイスの歴史
 アルフレッド・エッシャーが築いた現在へと続くレール】

 当時学生であったエッシャーは、鉄道網整備の必要性を痛感し、その建設事業に本格的に取り組むために、学校を辞め、政治家・事業家になる決心したといわれる。そして、クレディ・スイスは、その鉄道整備事業の資金調達を目的に設立されたのである。クレディ・スイスの登場は、産業化の波が訪れつつあるスイスにおいて時代の潮流に応えるものであり、一大センセーションとなった。設立時に300万スイスフランだったクレディ・スイスの株式時価総額は、その3日後には2億1,800万スイスフランになったほどである。
 その後、1882年にはクレディ・スイスの融資により、アルプスにゴットハルト・トンネルが開通し、ヨーロッパ全土を結ぶこととなった。エッシャーのビジョンは現実のものとなったのである。
 クレディ・スイスの快進撃はその後も続いた。1870年にはニューヨークに最初の国外拠点を設け、今日のグローバルバンクとしての成功の礎を築いた。一方スイス国内では、19世紀後半には引受けやシンジケート業務で他をリードし、スイス資本市場で圧倒的な地位を築いた。