野球エリートだと思われるかもしれませんが、私は高校時代に甲子園に行けませんでした。だから、自分では「雑草」だと思っているんです。 二松学舎沼南高校では投手兼外野手としてプレーしていました。1年秋は関東大会の準々決勝で敗退。2年夏は千葉大会の決勝で敗退と、どちらも「あと1つ」で甲子園を逃してしまったんです。 3年夏は千葉大会ベスト16。本気で甲子園を目指していたので、「こんなに悔しい思いをするなら、もう野球はやりたくない」と思いましたね。 でも、それは一瞬だけ。すぐに気持ちを切り替えて、亜細亜大学へ進みました。 投手として入部しましたが、2月に入寮してすぐに外野手への転向を勧められました。 それ