前編(徳川家康の居城は「江戸城」ではなかった?徳川政権が「江戸幕府」になった経緯と本当の居城)では徳川家康の居城が江戸城ではない話を紹介した。 江戸城に居なかったもう一人の徳川将軍は、第15代の慶喜である。正確にいうと、慶喜の居城は名目上は江戸城であったが、彼は「将軍」として江戸城に入ったことが一度もない。慶喜の生涯をたどってみよう。 慶喜は、徳川御三家の一つである水戸徳川家に生まれた。実父は、攘夷論者の旗頭的存在で「烈公」と呼ばれた斉昭である。やがて慶喜は、御三卿の一つである一橋家を継ぎ、将軍継嗣問題に際して有力候補として名が上がるようになる。 とき既に幕末の動乱期に差しかかりつつあった。第
実は「将軍」として一度も江戸城に入ったことがない徳川慶喜、最後の将軍と江戸城の数奇な運命と結末
江戸城を居城としなかった将軍とは?(後編)
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